3.奈良絵の「長恨歌図」の図様の特徴冒頭逸話の「安禄山の沐浴」、詩句および注釈部分の「華清池の温泉」、「楊貴妃の死」の三場面は、テクストの系統や文言の相違に関わらず、奈良絵の「長恨歌図」において共通して描かれる場面である。これら三場面には、大画面「長恨歌図」では描かれなかった場面、もしくは大画面とは異なる描写がなされており注目に値する。⑴「安禄山の沐浴」「安禄山の沐浴」は、楊貴妃の養子となった安禄山が後宮の一室で赤子の真似をして沐浴し、錦の襁褓をつけて、侍女達と戯れるという場面である(注14)。ここでは楊貴妃の位置に注意して見てみたい。まず大谷本では、上段の間に玄宗と楊貴妃が並んで座り、下段の間では半裸になった安禄山が青磁の盥に蹲って沐浴しており、周囲を侍女に囲まれている〔図3〕。玄宗と楊貴妃が並んで座ることによって、両者の立場は対等であり、夫婦であることを明確にしている。このような配置からは、玄宗との結婚によって幸せを享受している楊貴妃の姿を表していると見ることが出来るだろう。それに対して、ライデン本系の九曜文庫蔵(小型巻子本)では、上段の間には玄宗のみが座り、下段の安禄山の盥の側に楊貴妃が立っている〔図4〕。この描写の玄宗と楊貴妃の関係は、主従、もしくは玄宗に従属する女性の姿として描かれているようにみえる。もしくは、安禄山の側に立つ楊貴妃の図様は、玄宗よりも安禄山の近くに配されていることから、「貴妃と禄山とあだ名のたちけることもありしとなり」とテクストに記された楊貴妃と安禄山の心理的な距離の近さを示唆しているように見える。しかし、画中からは「臣下の人々はまゆをひそめてさまざまみかどをいさめたてまつりしかども」という勧戒性を感じることは難しい。とはいえ、「安禄山の沐浴」に見られるような、皇帝の御前に半裸の男性を配置させた情景は、後宮に皇帝以外の男性が描かれるという禁忌性に加えて、極めて通俗化した状況を描写しており、従来の大画面の「長恨歌図」には決して見出すことが出来なかったものである。すなわちこれは、版本に慣れ親しんだ鑑賞者にとって、テクストの手引きとなる説明的な図様であり、かつ親近性が感じられるものであった。⑵「華清池の温泉」「華清池の温泉」は、楊貴妃が玄宗の寵愛を受ける契機となった、詩「長恨歌」の最初の重要な場面である。大谷本では、フリア本と同様に侍女に支えられて歩く楊貴妃を玄宗が振り返って見るという人物配置である〔図5〕。フリア本が開放的な屋外― 377 ―
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