鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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の情景であるの対して、大谷本は室内の情景に置き換えられている。ところが、『思文閣古書資料目録』150号掲載の《長恨歌絵巻》では、画面の左右に湯殿が描かれ、左の階段のある浴槽では玄宗が入浴し、右の浴槽では侍女二人が入浴しており、中央の建物では、楊貴妃が侍女に傅かれて寛いでいる様子が描かれている〔図6〕。また、九曜文庫所蔵の大型巻子本では、階段のある湯殿で玄宗が入浴しており、その傍らには介助する侍女と楊貴妃が描かれている〔図7〕。同様にライデン本では、この大型巻子本に類似した階段のある湯殿に楊貴妃が入浴しており、浴槽の外に侍女と玄宗が立っている様子が描かれている〔図8〕。これらの奈良絵に共通する描写として、室内の閉鎖的な情景として描いていること、温泉の結構を詳細に描いているだけでなく、入浴するという行為そのものを具体的に視覚化しようと試みていることを挙げることができる。大画面「長恨歌図」では看取されなかった具体的な行為を描写することは、単に「長恨歌」の場面を補完するだけではなく、鑑賞者に玄宗と楊貴妃をより身近な存在として位置づける効果も期待できるだろう。さらに、侍女に傅かれる身分を明示することは、皇帝専用の「華清池の温泉を賜る」という特別の栄誉を受けた、栄華を極めた幸福な楊貴妃像が浮かびあがってくる。⑶ 「楊貴妃の死」もう一つの特異な描写として、大画面「長恨歌図」では決して描かれなかった死の描写が挙げられる。例えば六曲一双屏風のフリア本の場合、前半(左隻)に現実世界の楊貴妃を描き、後半(右隻)に死後仙界に行った楊貴妃を描くというように、実際の「楊貴妃の死」は両隻の間で暗示されるに留まり、直接描くことはなかった。その理由として、「為政者のための理想的生活様態」を描く題材であった長恨歌図に、不吉なものとして忌避されてきた死の要素、ましてや処刑の情景を描くことは、不適切であったことが容易に考えられる(注15)。ところが、奈良絵の「長恨歌図」では、「楊貴妃の死」のみならず、楊貴妃の兄の楊国忠や三人の姉の処刑の場面が描かれるようになってくる。そのような例として、九曜文庫所蔵の大型巻子本では、「長恨歌」の「千乗萬騎西南に行く、翠華揺揺として行きて復止まる、西のかた都門を出ること百余里、六軍発せず奈何ともする無し」という詩句を、三場面にわたって詳細に描いている(注16)。第一場面は、一つの車に玄宗と楊貴妃が乗り合わせて、宮殿を脱出する様子を描き〔図9〕、第二場面は、車の傍で刀を振り上げる兵士と、今まさに首を刎ねられようと― 378 ―

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