鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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「伊年」白文方印況の変化を考える必要がある。作品の質や量の変化からは、宗雪から相説へ。そして利常から綱紀へと世代交代とともに前田家との関係から町絵師的な活動へとシフトしていった可能性がある。しかしながら、記録類が乏しい相説については署名から「法橋」に叙されていたことは明らかなので、相説を知る手掛かりとして非常に重要な位置を占める落款について検討したい。相説が使用する印章について「秋草図屏風」(番号17)に使用されている二つの印章のうち、「伊年」朱文円印は宗達や俵屋宗雪が使用した印章とは印章それ自体は異なるが、同じデザインである。もう一方の2.0×2.0cmの「宗雪」朱白文円印は相説の他に、その名の主である俵屋宗雪も使用した例は見当たらない。宗雪は「秋草図屏風」(東京国立博物館)や「萩兎図屏風」(石川県立美術館)、「龍虎図屏風」(東京国立博物館)等で「伊年朱文円印」を押し、「群鶴図屏風」では「伊年」朱文円印と印文不明の白文方印を併用した例があるが、「秋草図」(番号17)の「宗雪」朱白文方印とは全く異なる。このように複雑な状況下、相説の印章の使用について整理する。相説の署名を伴う作品をみていくと、相説は法橋に叙される以前には「相説」の署名で、押絵貼屏風あるいは掛幅といった比較的小さな画面に描いていたようである。印章は1.8×1.8cmの「伊年」白文方印が最も多く使用されている。「秋草図屏風」(番号1)は六曲一双となっているが、掲載図録の解説でも画面がつながらず不自然であるため、当初は一双ではなかった可能性が指摘されている。画面下方には左隻は流水型に、右隻は土坡を思わせるように銀箔で仕上げており、草花はこの銀箔に遮られるように描かれている。この土坡で遮る技法は宗雪が先の「秋草図屏風」や「萩兎図屏風」などで使用していたことが指摘できる。また、描かれている草花はハギとキク、ススキと少なく、キクにいくつかのバリエーションはあるが、相説の押絵貼や掛幅の作品にみられるような淡白な水彩画のような表現がみられ、落款が示すように法橋叙任以前の押絵貼りや掛幅を中心に手掛けていたころの作品であると考えてよいだろう。また、「七十二歳」の作品である黒部市美術館の「四季草花図押絵貼屏風」(番号21)でも用いていることから、制作活動を通して「伊年」白文方印を用いたと考えられる。― 389 ―

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