「宗説」朱文円印では、相説筆「秋草図屏風」(番号17)に押された「宗雪」朱白文方印に注目してみる。使用方法としては、署名がなく印章のみのもの、「相説」という署名を伴うもの、「法橋相説」という署名のものとそれぞれあり、「伊年」白文方印ほど使用頻度は高くないが、この印章も活動期のほとんどで使用されていたと考えられる。また、「秋草図」以外には押絵貼屏風の作品と掛幅であることから、「伊年」白文方印と同様の扱いであったと考えられる。相説と「伊年」朱文円印つぎは、「秋草図屏風」(番号17)に押されたもうひとつの印章、4.7×4.7cmの「伊年」朱文円印である。この「伊年」という印文は、先述の通り宗達や宗雪も使用していたが、いわゆる「「伊年」印草花図」などが示すように署名を伴わない工房作品に使用されることも少なくなく、商標としての機能が指摘されている。相説の作品において、この印章の使用方法をみていくと、クリーブランド美術館の「四季草花図屏風」(番号34)以外はすべて「法橋相説」か「相説法橋」の署名があり、法橋就任に際して大画面の作品を中心に用いたと考えられる(注9)。「相説法橋」という署名は強弱の差の強い書体で、概ねほかの署名の書体に似ているが、黒部市美術館の「四季草花図屏風」(番号21)の書体に比べると、若干細い部分の弱さが目立つ。また、「法橋相説」ではなく「相説法橋」となっているが、細見美術館の「草花図屏風」(番号15)をはじめ数点が「相説法橋」の署名であることに加え、俵屋宗雪は「宗雪法橋」と署名していることからも問題とはならないであろう。相説が使用した印章にはもうひとつ、「宗説」朱文円印がある。「喜多川法橋相説七十二歳画之」の署名があり晩年の作品とされる「四季草花図押絵貼屏風」(番号21)には右隻第1扇と左隻第6扇にのみ署名があり、この署名の下にはそれぞれ各扇に押された「宗説」朱文円印とともに「伊年」白文方印を押している。つまり、署名をした両端にのみ「伊年」白文方印を加えているのである。この屏風の構造や署名、絹本という特異性からして、もともと押絵貼屏風に仕立てられるために描かれた絵であると考えられ、両端以外は署名を省略したと判断できる。また、署名を伴わずに使用された場合はいずれも「伊年」白文方印とともに使用されているため、「宗説」朱文円印は常に「伊年」白文方印と併用されたと考えられる。この印章の組み合わせで「喜多川法橋相説」の署名がある作品は、ほかに「四季草花図屏風」(番号20)がある(注― 390 ―
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