注⑴ 以下、「伊年」印草花図とは「伊年」朱文円印を押した無署名の草花図を指し、相説が使用した「伊年」白文方印を押した作品は含まない。とくに言及がない場合は屏風、襖絵など形態は問わず総称として使用するが、大画面の作品を指す。⑵ 草花の名称はさまざまな漢字表記があるため、すべてカタカナ表記とした。⑶ 右隻第5扇に描かれたジュズダマ(ハトムギに似た植物)も、管見では「伊年」印草花図で描かれた作品をみないが、中村芳中の「四季草花図屏風」(六曲一双・大英博物館)の左隻第6扇に描かれている。⑷ 「明治前園芸植物渡来年表」『慶應義塾大学日吉紀要・自然科学』42号、2007年、34頁。⑸ 斉藤全人氏は始興の草花図に描かれる亜熱帯性植物に注目し、「琉球植物」として始興の作品中に描かれたダンドクを取り上げている。(「渡辺始興草花図にみられる琉球植物─薩摩絵師木村探元との関係をふまえて─」『美術史』161号、美術史学会、2006年10月、35・36頁)⑹ 西本周子「「伊年」印草花図屏風の展開─描かれた草花をめぐって─」『琳派絵画全集』宗達派二、日本経済新聞社、1978年、38頁。⑺ 『隔蓂記』の寛永19年(1642)11月29日の以下の記事により、宗雪がこのとき法橋であったことがわかり、宗雪と相説の活動期を暫定するための手掛かりとなる。 自仙洞押絵賛被仰出、今日絵一枚来、俵屋宗雪法橋筆也⑻ 綱紀の治世は、万治元年(1658)から享保9年(1724)の66年間。⑼ 西本周子氏は「伊年」朱文円印の落款を有する細見美術館蔵の「秋草図屏風」(二曲一双)の「相説法橋」の署名と俵屋宗雪筆「秋草図屏風」(六曲一双、東京国立博物館)の「宗雪法橋」の署名を比較し、両作品が同一人すなわち宗雪によるものであるとした。(「宗雪と相説─宗雪は草花図の系譜㈠─」『東京家政学院大学紀要』第41号、2001年、59〜61頁)⑽ 仲町啓子氏はこの作品を相説の最晩年期に近い作品とし、同書掲載の「四季草花図屏風」(クリーブランド美術館)(番号38)を相説壮年期の作品とした。また、この作品の落款については、「四季草花図押絵貼屏風」(黒部市美術館・番号21)の落款と写真で比較し、若干の疑義を呈している。(『琳派』第1巻「花鳥1」、紫紅社、1989年、301頁)⑾ ブドウは番号23・26・29、ユウガオは番号4・5・6、アサガオは番号26、マメは番号6・22など。「四季草花図屏風」(根津美術館・番号20)では右隻中央にユウガオが画面を斜めに遮断するように描かれている。そのユウガオは霞のようなものに一旦遮られ、少しずれて再び現れるように描かれ、画面空間を効果的に演出している。「四季草花図屏風」(黒部市美術館・番号21)には支柱にテッセンが絡んでおり、トウモロコシに絡みつくアサガオも描かれている。アサガオやマメは「伊年」印草花図にも描かれているが、支柱は描かれない。⑿ 別表の番号3、10の作品。ため、叙任の際に推薦人となるパトロン的有力者の存在も当然想定でき、北陸地方における記録類の探索を継続して行う必要がある。計画書において言及した近代日本画への影響については、相説の記録類の捜索が不十分な段階であり、この研究を進めていくうちに、さらに光琳への影響などについても検討する必要性を強く感じるようになったため、稿を改めることとしたい。― 392 ―
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