鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
406/537

─1956年の日本巡回展との比較において─研 究 者:パリ社会科学高等研究院(EHESS)芸術・言語研究所 博士課程1.はじめに本稿で扱う1956年から1957年にかけての「人間家族」展日本巡回展版については、先行研究では詳しく述べられておらず、日本写真史の中でも同展巡回の意義が明確に位置づけられていない。これから述べるように、欧米での展示と比較した場合の日本展の主な特徴とは、第一に、スタイケンが日本の写真家を紹介するために元の展示にはなかったプリントを多く加えたこと、第二に、写真パネルの製作、プリントのサイズや白黒のトーンの決定は日本で行われたこと、第三に、そのような展示構成におけるいくつかの自由を許可した結果として、原爆写真の公開を巡って日米企画者の間に誤解が生じたことである。1994年、「人間家族The Family of Man」展美術館はルクセンブルク大公国北部、クレルヴォー市の城内に開館した。そこには、1955年にニューヨーク近代美術館(以下、MoMA)で開催された、ヒューマニズムの精神に基づいた写真による大規模な展覧会が再現されている。元々「人間家族」展は、当時MoMAの写真部門部長であったエドワード・スタイケン(1879−1973年)によって、MoMA開館25周年記念として企画されたものである。1951年から準備された同展には戦後の世界に平和を願うメッセージが込められていた。「人間家族」展はニューヨークで公開された後、アメリカ合衆国各都市とカナダで展示された。さらに、1955年から62年までの7年間で世界4大陸38ヵ国を巡回しており、計10ヴァージョンが制作されている。それらの複製写真パネルのうちヨーロッパ巡回展版は、巡回展最終開催地でスタイケンの祖国でもあるルクセンブルクに、1964年アメリカ合衆国から寄贈された。この写真パネルはしばらく放置されていたが、冷戦の終結と時期を同じくして80年代後半から修復が行われ、オリジナルの構成を復元した形で保存されている(注1)。「人間家族」展は冷戦期のプロパガンダとして批判されてきたが、そのことは同時に、現在まで続く同展の多大な影響力を示している。それゆえ、ルクセンブルクの展示は、その優れた構成力や高い内容の質的な評価から、新たに「冷戦時代の記憶」と見なされて、2003年にはユネスコの「世界の記憶」に記録遺産として登録されている。― 396 ― 土 山 陽 子 「人間家族」展(1955年)の冷戦後の復元による再解釈

元のページ  ../index.html#406

このブックを見る