滅、しかし他方において、それは創造力であり平和と協同との共通地盤である。アメリカ原子力委員会」(注8)といった文章が併置されている。ここでは、原子力が新たな世代を担うエネルギーであり、正しく使用すればそれが役に立つものであることが説かれている。このメッセージは、カリフォルニア大学放射線研究所の原子の軌跡の写真を背景に、労働者や研究者の写真と組み合わされて、人々の生活がこの新しいエネルギーによって支えられ、発展していることを伝えている〔図1〕。また、「学ぶ、考える、教える」のセクションでは、プリンストン高等研究所で教えるオッペンハイマーやアインシュタインといった科学者たちの姿が見られる。展覧会終盤に置かれた「戦争の顔」や「死んだ兵士」のテーマ〔図2〕は敵対する人間の悲惨な一面を示しているが、それらに続く「原水爆」写真は人類全体の存続に対する脅威として表現されている(注9)。当初、原子力の威力は計り知れず、文明の破壊の可能性と効率的で経済的なエネルギーの利用の可能性の双方を秘めていた。「人間家族」展では、原子力は第二次世界大戦の終結、かつ、冷戦時代の始まりの象徴として、核の時代に突入した人類の未知の経験に対する不安と期待を表明していたのである。ここで、スタイケンがニューヨークの展示で用いたキノコ雲のカラー写真〔図3〕とは、1952年11月1日にマーシャル諸島のエニウェトク環礁で行われた最初の水爆実験、アイヴィー作戦マイクが爆発した際のカラー映像であることがオブライアンによって確認されている。この写真は1954年の雑誌『ライフ』国際版5月3日号などの媒体を通じて一般に公開された。写真は人々が通常見ることのできない核の存在を視覚化し、アイゼンハワー大統領の述べるところの「世界の人々が平和を知的に探求しようとするならば、今日の(核の)存在という重大な事実によって武装しなくてはならない。」(注10)という理念の理解と実現に役立てられたのである。また、ヨーロッパの同セクションに展示された白黒の写真〔図4〕も同実験の時のもので、1954年5月17日の『ライフ』国際版に発表されている。カラー写真による表現をピクトリアリスムの時代から追求してきたスタイケンは、展覧会にカラー大型写真を加えようと試みた。当時コダクロームカラーフィルムを用いての核実験の記録は、イーストマン・コダック社と米軍の協力によって行われ、カラープリントの印刷もコダック社が引き受けていた。展覧会の中でカラーから白黒に写真が変更されたのは、ニューヨーク展で公開したカラー写真は一週間ほど経つと色褪せてきたこと、ヨーロッパ展ではカラー写真パネル製造費用が高価であったことが理由であった(注11)。しかし、印刷技術や費用の問題であったとはいえ、カラーから白黒の写真に変更することで、水爆実験はより象徴的な出来事として表現された。― 398 ―
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