鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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ーの形成過程と活動実態を調査したが、約半世紀の間に80を超える美術家コロニーがフランス、ドイツ、オランダを中心とする西ヨーロッパ地域に形成されたという(注17)。中でも、最初期に形成され、代表的美術家コロニーとしてその後の国内外におけるコロニー形成に大きな影響を与えたのがフランスのフォンテンブローの森に誕生したバルビゾンである。風景画の題材地としてバルビゾンが注目されるようになったのは1840年代からである。70年代に入ると、グレーなどのように、第二のバルビゾンを目指して多くの美術家コロニーが形成されたほか、逗留した外国人作家が帰国することでヨーロッパ各地に次々と美術家コロニーが形成された。中でもアメリカ人美術家達は、ヨーロッパ各地で独自のコロニーを形成するだけでなく、19世紀末のアメリカにおける郊外写生地におけるコロニーの流行をもたらした。それらのコロニーの形成過程を調査すると、バルビゾンやポン=タヴェンといった19世紀前半にヨーロッパに流行した個人の自由、独立を根本としたロマン主義は、個人の内的自然へと人々の目を向けさせ、折からのツーリズムの誕生とヨーロッパ内の鉄道網の発達により、それまで無名であった田園や森林を風光明媚な自然風景として改めて認識させた。同時期の美術家コロニーの多くは、こうした新しい意識のもとに発見された自然風景の中で形成された。1850年代まではアメリカから渡欧する美術家はまれであったが、ヨーロッパの写実主義的人物画やバルビゾン派の風景画が次々と紹介され、加えてメディアや海外航路の発達によってヨーロッパとの文物の往来が盛んになることで、19世紀後半には渡欧する美術家が激増する。彼等はパリを中心にドイツのデュッセルドルフ、イタリアのフィレンツェやローマなどで学び、グレーやフランスのポン=タヴェン、コンカルノーなどのコロニーに滞在した。留学第一世代の帰国が相次ぐ1870年代より、ニューヨーク、フィラデルフィア、ボストンといった都市近郊に美術家コロニーが形成され、20世紀初頭には、ニューイングランド山間部やカリフォルニア沿岸部、メキシコなどに20数個のコロニーが誕生する。Lübbrenによれば、形成された美術家コロニーでは、寝食を共にし、美術論議に花を咲かせる美術家同士の濃密な交流が行われ、その関係が時として展覧会の開催などへと発展することもあったが、具体的な美術思潮の形成や運動へと繋がることはまれであったという。美術家にとって、知己を得ることで批評家やパトロンに繋がる人脈を形成することは重要であったが、コロニー逗留の大きな目的は、自然との対峙を通して自己の内省を深め、絵画技法を研鑽することであったのである。― 31 ―

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