⑶John O’Brian, “The Nuclear Family of Man,” The Asia-Pacific Journal: Japan Focus, 2005. http://www.注⑴筆者はルクセンブルクの美術館で同展を実見しているが、50年代と90年代の巡回展は未見であクションには白黒の水爆実験の写真が用いられている。復元された「人間家族」展の、1993年から94年にかけてのトゥールーズ、東京、広島への巡回では、同じく白黒の水爆実験の写真が公開された。90年代に日本に再び巡回が実現した理由は、1956年の東京展の盛況が考慮され、被爆地で国際平和都市・広島への巡回の重要性が認められたためである。1956年の展示で山端の長崎の写真が「特定の事件」として扱われたことに対し、90年代においては、核兵器が改めて人類の共有する問題のひとつとして扱われた点で、同展最後の巡回地に広島が選ばれたことは意味を持った。「人間家族」展の復元は記録写真の歴史資料としての価値の見直しにも通じる。同展が「冷戦時代の記憶」として鑑賞されるには、展覧会にまつわる歴史と批評の再評価がますます必要となるだろう。るため、関係者の話と写真・ヴィデオ映像による記録を参照した。⑵同セクション名は、アメリカとヨーロッパでは「水爆」、日本では「原爆」とされたため、本稿での表記は「原水爆」とする。⑷ドワイト・D・アイゼンハワー「平和のための原子力」、ニューヨーク国連総会、1953年。⑸United States Information Serviceの略。後のUnited States Information Agency。⑹Ran Zwigenberg, “The Coming of a Second Sun: The 1956 Atoms for Peace Exhibit in Hiroshima andJapan’s Embrace of Nuclear Power,” The Asia-Pacific Journal: Japan Focus, 2012. http://japanfocus.org/-Ran-Zwigenberg/3685⑻「ザ・ファミリー・オブ・マン、われらみな人間家族」展挿入句、ドロシー・ノーマン選、高見順訳、同展カタログ日本語版解説書から引用。⑼現在までベストセラーとなっている同展のカタログには、初版を除いて水爆実験の写真は掲載されていない。コ、同氏自宅にて)。⑿筆者による石元氏へのインタビューに基づく(2009年9月、東京、フォト・ギャラリー・インターナショナルにて)。⒀ニューヨーク展に出品されたのは、石元泰博、大滝栄寿、岡本よういち、蒲生右之助、木村伊兵衛、寺尾順祐、芳賀日出男、濱谷浩、山端庸介、山本静夫。⒁「渡辺義雄と語る」『写真サロン』玄光社、1956年7月号、137頁。⒂ジーチーサン商会(G.T.SUN/Graphic Times Sun)。山端庸介の写真集を持つスタイケンと山端祥― 402 ―japanfocus.org/-John-O_Brian/2816⑺Office of Public Affairs American Embassy in Bonn, Visitors’ Reactions to the « Family of Man » Exhibitin Munch, Report No. 225, Series No.2, 23 January, 1956.⑽U.S. Air Force, Backgrounder for all Photographs, Operation Ivy: the H-Bomb, MoMA Steichen Archive.⑾筆者によるウェイン・ミラー氏へのインタビューに基づく(2012年4月23日、サンフランシス
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