鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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聖を取り囲む。失われた翼画には、弩組合の記録から中央パネルに向かって跪いて祈る寄進者が描かれていたと推測されている。留意せねばならないことは、ルーヴェンの作例が、バウセル家によって建立され、同家の墓所として利用された、私的礼拝堂であった聖三位一体礼拝堂の祭壇の上に安置されていた祭壇画の中央パネルであったという点である(注26)。すなわち、ルーヴェンの作例の「聖三位一体」は私誦ミサにおける聖体拝領と結び付けられていた。司式者が奉献する聖体は、ルーヴェンの作例を通じてキリストの実像として視覚化される。聖体拝領において「聖三位一体」がキリストの身体として顕現するという理論的根拠が、ルーヴェンの作例によって、共感可能な形で観者に提示されていると思われる。さらに特筆すべきは、画面手前の二人の天使がキリストを支えるために持つ布である。この布は、観者の視線をキリストへ集める視覚的効果を果たしているが、一方で、祭壇の上の聖布に関連付けられたのではないだろうか。ベルティングが主張するように、そもそもビザンティン美術以来の図像伝統をもつ聖布は、キリストが描写され、祭壇上のパテナ等に掛けられるか、もしくは、プロセッションの際に運ばれた。いずれの場合も、聖布はキリストの体を覆う布と同一視された(注27)。布の図像伝統の意味が組み込まれた、ルーヴェンの作例におけるキリストを覆う布は、したがって現実空間の祭壇上の布に呼応する。つまり、この布を画面前景に配置させることで、司式者に奉献される聖体をキリスト像として血肉化させるという、聖体拝領の目的に適っているのである。故に、ルーヴェンの作例は秘蹟の顕現を目的とする典礼に関わる図像であったということが理解できよう。「聖血の画家」(活動期1530)に帰される《聖三位一体》(ブリュッセル王立美術館)〔図12〕や、《七秘跡の法衣の断片》(ベルン歴史博物館)〔図13〕のような後代の作例において、ルーヴェン作例の意味と機能は踏襲された。むすびにかえて本稿では、カンパンの「聖三位一体」グループの意味とその機能を、図像形式という観点から考察を加えた。オリジナルの図像関連が残っていると考えられる二連画を取り上げた上で、オリジナルの構図が現存しない、三連祭壇画、多翼祭壇画を検討した。その結果、カンパンの受難像としての「聖三位一体」からは以下の点が明らかになった。まず、二連画においては「聖三位一体」像が祈念を凝らす観者のヴィジョンとして生み出されたということ。さらにグリザイユ画においては、「聖三位一体」像は観者と同じ空間にある彫像として祭壇画内側の導入となったということ。そして、■■■■■■■■■■■■― 410 ―■■■■

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