鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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研 究 者:大阪大学大学院 文学研究科 助教  上 原 真 依はじめにクリヴェッリは15世紀後半にマルケ地方で活動し、約30点の祭壇画を制作した。これらの祭壇画の多くは19世紀初頭まで聖堂や司祭の家などに放置されていたが、1811年のナポレオン政権下の美術品接収や、1820−70年の教会関係者や地元の有力者による作品売却のために、次々と解体され市場に流通していった。本稿では、カメリーノに由来する4点ないし3点の祭壇画(注1)の輸送関連資料から得られた新知見をもとに、各祭壇画に関する情報を整理したい。なお紙幅の都合上、本論では2011年度に調査を行ったボッコラーリ文書で言及されているとみられる12枚のパネル〔図1、2、3、6のパネル①〜⑫〕に限定して考察し、プレデッラと文書で言及のないパネルについては省略した。1.1810年ナポレオン政権下の美術品接収19世紀のイタリアでは国内の動乱の影響もあり、数多くの美術品が本来の設置場所を離れ、世界各地に散らばった。本研究は、ヴェネツィア出身の画家カルロ・クリヴェッリ(1430/35−1493/94)が、イタリア中部マルケ地方の町カメリーノのために制作した祭壇画群の解体、輸送に関わる史資料をもとに、19世紀におけるルネサンス期祭壇画の流通諸相を明らかにするとともに、祭壇画の再構成を目指すものである。18世紀末より、ヴェネツィアをはじめとする北イタリアではナポレオン軍侵攻時に多くの美術品が接収されていたが、マルケ地方における美術品接収はイタリア王国成立後に本格化した。1810年、モデナの美術学校教授だったアントーニオ・ボッコラーリは教育省総務局の代理人として、王国内の廃止された聖堂や修道会所蔵の絵画を視察の上、国が適切に保管すべき作品を選出しミラノに輸送する任に就いた(注2)。ボッコラーリは、芸術家に関する文献や地元の執政長官の意見を参考にしつつ、ロンバルディア地方やモデナ、ボローニャ、ルビコーネ行政区、そしてマルケ地方を視察し、著名な画家だけでなく当時美術の主流からは外れていると考えられていたような作品も数多く選び出している。特に、それまで纏まった調査が行われなかったマルケ地方の3行政区では、1810年4月から8月の視察で多数の絵画作品がミラノへ輸送された(注3)。この視察の報告書と輸送時の絵画リスト群は、モデナ国立古文書館の― 418 ― 19世紀イタリアにおける美術品流通─カメリーノ由来のカルロ・クリヴェッリ作祭壇画をめぐって─

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