鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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詳しいサイズの記載はなく、持ち出した聖堂も関係なく羅列されているものの、7番を除く板絵11枚はその主題に基づき、先のボッコラーリの報告書で言及されていたクリヴェッリの作品11枚と同一と考えられる。さらに、7番に挙げられた作品は、現在ベルリン絵画館が所蔵する《聖ペテロへの鍵の授与》〔図6の⑫〕と考えられる。この作品については、1488年の契約書が確認されており、カメリーノのサン・ピエトロ・ディ・ムラルト聖堂のために制作された祭壇画と判明している(注13)。《聖ペテロへの鍵の授与》は、カメリーノからの作品として他の11枚のクリヴェッリパネルと同様、1811年にミラノのブレラ絵画館に収められたが、1821年同絵画館の修復士アントーニオ・フィダンツァの提案で、ヤン・フィリップ・ファン・ティーレンの小品と交換され、その後ロンドンでの競売を経てベルリン絵画館に入った(注14)。6月にボッコラーリは、11枚のクリヴェッリ作品に《聖アウグスティヌス》を加えた12枚を報告していたが、8月の送付リストではその代わりに《聖ペテロへの鍵の授与》を含めた計12枚を記録している。もちろん、報告書の《聖アウグスティヌス》がまったく別の作品で、マテーリカからの輸送の段階で《聖ペテロへの鍵の授与》と入れ替えられた可能性も否定できないが(注15)、幼児キリストが聖ペテロに鍵を渡す図像例は多くないため、作品左にいる司教聖人を見たボッコラーリが聖アウグスティヌスと記録した可能性も考えられる。クリヴェッリが祭壇画を制作したフランシスコ会厳修派のサン・ピエトロ・ディ・ムラルト修道院は、カメリーノの城壁沿いに位置していたが、1502年の城塞拡張の際に廃止されており、1502年から1810年までの祭壇画の所在は未だ判明していない。もし、ボッコラーリが報告書で聖アウグスティヌスと記録した作品が《聖ペテロへの鍵の授与》であるならば、この作品は1810年当時、カメリーノのスペリメント聖堂にあったことになり、これまで分かっていなかった16世紀以降の祭壇画に関する記録を探る手がかりになるであろう。スペリメント聖堂もまたフランシスコ会厳修派の聖堂であることから、この聖堂に作品が保管されていた可能性を考慮しつつ、今後の史料調査に臨みたい。おわりに本稿では、1810年にアントーニオ・ボッコラーリが記したカメリーノにおける美術品接収の報告書と、同年のミラノへの美術品送付票の記述に焦点を絞り、そこに記録されたパネルについて新たな情報を得るともに、廃止されていない聖堂の作品をも対象とするイタリア王国における美術品接収の実態一端を明らかにした。カメリーノの聖堂のためにクリヴェッリが制作した祭壇画群は、各パネルのサイズ改変や作品の設― 422 ―

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