いだせるのではないかと考えたからである。この度、公益財団法人鹿島美術財団による助成を賜り、あらたに沖縄県内の多くの方々の御協力のもと調査を行わせていただくことができた結果、これまで個人蔵として使用されていた資料、あるいはその存在を地元でも限られた方々しか知らないという複数点の重要な初公開資料を発見するに至った。職場勤務の一方で限られた日程を報告者側からお願いするという形をお聞き届けいただき、ご協力者の方々には、後世に資料を伝え遺したいという強い願いのもと、地域あるいは個人の遺産・財産を公開し調査をお許し頂くという格別の御支援御厚情を賜りました。このかけがえのない研究の機会を賜りました公益財団法人鹿島美術財団と県内外の多くの方々に深く感謝御礼を申し上げますとともに、本報告書に取り上げる資料の分析考察が未だ断片的である点については稿を改めることとどうかお許し頂きたい。(文中、敬称略)一 踊衣裳調査について琉球王朝時代末期〜大正期の伝世品、および、近現代の踊衣裳という二つのテーマのもと、一年間にわたり沖縄本島および周辺の島々にて調査を行った結果、前者については伊是名村で新しい発見があり、後者については、まとまった作品集なども乏しい第二次世界大戦後紅型復興期第一世代紅型師による踊衣裳について、従来、文献などに公表されたことのない意匠による複数点の紅型衣裳を確認することができた。本調査報告書では、その中で特に重要と思われる紅型について紹介させていただく。二 伊是名村勢理客の踊衣裳(王朝時代末期〜明治)1.調査概要伊是名村(伊是名島)は第二尚氏王朝(1470−1879)始祖 尚円王(金丸)生誕の地として、史跡「伊是名城」・「伊是名玉御殿」、あるいは尚円王の家筋「四殿内」に係わる国指定重要文化財「銘苅家住宅」および「銘苅家」旧蔵古文書・美術工芸品93点、伊是名村指定有形文化財ほかの「名嘉家」旧蔵「伊平屋の阿母加那志拝領品」ならびに美術工芸品、南風のタハダ「玉城家」・北のタハダ「伊禮家」蔵美術工芸品など、多くの有形文化財が伝世される。調査に先だつ島出身者への聞き取り調査では、概して「伊是名には紅型は無いのではないか」ということであったが、濱里長希氏(野村流音楽協会)、伊禮一昇氏(元 仲田区長)、仲田好二氏の全面的協力のもと、「組踊」ほかの踊衣裳を所蔵する仲田・諸見・勢理客・伊是名の各集落に保管使用される踊衣裳、および幕を調査させていただいた結果、勢理客に極めて重要な王朝時代末期― 429 ―
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