鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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〜大正時代の紅型踊衣裳が遺されていることを発見した。同衣裳は沖縄県による県内染織資料調査においても発見されず、過去に一度もその存在が公表されたことのない資料となる。その伝世に深く関与した同集落の東江喜美氏、末吉正子氏も、わずかに「戦前から伝えられた衣裳」という情報を持つばかりで、関係者の間では古くなっているために破棄をしてはどうかなどという意見も出たことがあるというが、東江、末吉両氏が「先人たちの遺したものを遺したい」(東江)との思いにより、管理し続けてきた。このほか、「仲田」にもかつては紅型を含む戦前からの古い衣裳群が存在していたが、数年前の台風の際に、保管していたコンテナごと海に流されてしまったという。また、伊是名村には、戦前戦後にかけて、沖縄本島から、宮城能造(初代)(1906−1989)(国指定重要無形文化財「組踊」総合認定保持者、沖縄県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者、沖縄県指定無形文化財「沖縄伝統舞踊」保持者)や親泊久玄(1939− ) (親泊本流親扇会二代目家元、国指定重要無形文化財「組踊」総合認定保持者、国指定重要無形文化財「琉球舞踊」総合認定保持者)、島袋正雄(1922− )(野村流師範、国指定重要無形文化財「琉球古典音楽」保持者、国指定重要無形文化財「組踊」総合認定保持者)などの組踊関係者が来島し、仲田や諸見ほかの集落で村民が取り組む舞台の指導にあたったが、今回の調査では、「仲田」の組踊で近年まで使用され続けた、宮城能造(初代)の手書きとなる重要な幕が存在した事実も明らかになった(後段、幕の項にて取り上げる)。同幕は勢理客の紅型衣裳と同じくこれまで文献などに掲載されたことも無く、本調査報告書において初めて、宮城能造制作の幕と村外に公表されるものである。2.勢理客の紅型踊衣裳四領同素材同模様の水色地二領、および、同素材同模様の黄色地二領である。染めの技術は水色地の方が、黄色地よりも高く、また、水色地の方が、黄色地の紅型よりも時代的にさかのぼるものと考えられる。勢理客は伊是名島の他の部落の人たちに比べ、大柄な人が多いというが、衣裳の寸法は次の通りである。【水色地①②】丈136.5〜137.0cm/裄135.0cm/袖丈58.0cm/袖幅33.0cm/木綿〔図1〕【黄色地①②】丈127.0cm/裄133.0cm/袖丈56.0cm/袖幅34.0cm/木綿〔図2〕戦後になって同衣裳が「組踊」に使用されたことは無いということであるが、ともに二枚組になっていることから関係者によれば、戦前、「組踊「護佐丸敵討」のかみじゅう・とらじゅう、あるいは、乙樽・鶴松役などに使用したのではないか」という。― 430 ―

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