鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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は、民俗芸能を含む沖縄近現代の芸能が辿った変化と様相を考察する上で重要である。3.安座間澄子(注11)安座間澄子旧蔵踊衣裳(安座間本流二代目家元 安座間明美所蔵)は、名渡山愛順の作品が中心となる。城間栄喜の紅型にみられる濃色の強い主張と華やかさに比べて幾分地味にも感じられ舞踊家の好みの分かれるところだが、ひかえめな色味にはしっとりと落ち着いた品格と優美さが感じられ、古式ゆかしいおもむきを放つ。名渡山愛順「花色地牡丹枝垂桜蛇篭流水桜菊菖蒲文様紅型踊衣裳」〔図6〕は、金武良章振付創作舞踊「赤田風」で澄子が打掛に使用。同意匠は、尚順(松山御殿)関係者の元に遺された黄色地紅型衣裳と肩裾模様ともに同一である点が興味深く、肩から腰にかけての意匠は、琉球王尚家21代 尚昌関係資料として(注12)平成期に入り首里城に収蔵された尚家出身者旧蔵「浅地牡丹枝垂桜両面紅型単衣裳」(苧麻)の意匠とも同一の大模様。裾部に配された意匠が紅型復興期に制作された例として見出されるのは珍しく、特に愛順紅型に特徴的意匠といえる。なお、今回の調査で真境名律弘(真境名本流師範、国指定重要無形文化財「組踊」総合認定保持者)所蔵の踊衣裳中に、肩から腰にかけて同一の模様を染めた城間栄喜紅型〔図7〕が現存することも明らかになった。明るめの花色地に栄喜紅型の色彩的特徴が際だつ同紅型踊衣裳は、師の真境名由苗(真境名本流二代目家元)が戦後制作して踊衣裳として用いたもの。いくぶんぽってりとした肉厚な型彫りの味わい、裾部には栄喜踊衣裳に典型的な蛇篭流水菖蒲沢瀉桜に鴛鴦の文様が表され、現在でも宮城幸子ら多くの舞踊家に継承される栄喜踊衣裳「松枝垂桜藤燕蛇篭流水菖蒲沢瀉桜鴛鴦文様」が栄喜の意匠として定型化される過程の試み的作品として興味深い。澄子が金武良章創作「首里節」などで着用した「変り松皮菱に梅桜蛤模様紅型踊衣裳」は、城間栄喜の弟子大城貞成周辺の作か。特色あるからし色を地色に染めた「枝垂桜燕鶴蛇籠流水菖蒲沢瀉文様踊衣裳」は、「瀬名玻」の染めと推測される〔図8〕。1932年(昭和14)、柳宗悦ほか日本民藝協会同人が沖縄を訪れた際に芹沢銈介、岡村吉右衛門らが調査を行った瀬名玻良持の工房は、後に、知念績弘(1905−1993)と同年であった良賢の時代、他の紅型師との差別化を意識して、紅型ではなく「染料染め」に取り組むこととなり(注13)、その方針と取り組みが現在まで継承されているために全体的に紅型師の手掛けた紅型とは異なる色使いが行われることが特色である。ほかに金武良章創作「首里節」の打掛として用いた城間栄喜作「白地雪輪牡丹菊桜梅模様紅型踊衣裳」〔図9〕なども遺されている。― 433 ―

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