2.竹富町─城間栄喜の舞台幕現在、竹富島では東(あいのた)・西(いのた)・仲筋(なぁーじ)という地域毎に異なる3枚の幕が使用される。種取祭の初日は毎年交互に東か西の幕を出し、2日目は仲筋の幕を使用。どの集落の幕も、奉納芸能として演じられる組踊「父子忠臣」(仲筋)、組踊「伏山敵討」(西)などで使用する太刀が刺さり空いた穴などが残る。島にはかつて真喜志康忠(重要無形文化財「組踊」総合認定保持者)らも訪れたという。1957年(昭和32)に城間栄喜が紅型を染めた仲筋の舞台幕〔図13〕については、2003年に報告者が仲筋で染織資料を調査した際に初めてその存在が確認されたが、今回あらためて調査を行った結果、生地の織手や染めの経緯などが初めて明らかとなった。生地は、竹富島の糸芭蕉を製織したもので、地元の婦人たちの制作となる。現在、同幕は、種取祭の「シクミ」(リハーサル)の際と結願祭に使用するほかは、2003年(平成15)に制作した城間栄順の幕(生地は中国麻)を使用している。【仲筋/島仲彌・島仲ナミ・大春江の話】:「古い幕(戦前の幕)は、そうとうに古くなっていた。(生地は)楽屋幕なので、おもてもみえるように、荒く織ってもらった。」「狩俣正三郎さん(大正14年生まれ)が頑張って。年配格は嘉手川清さん(明治生まれ)。仲筋のばあちゃんたち、60歳過ぎ、当時70代のおばあちゃん達、が(芭蕉布の)反物を製作した。地機と高機。嘉手川清さんが、朝3時に太鼓を打って、皆を集まらして、「みんなでつむぎならえ」ということで、横糸をつむいで習った。」当時、反物を製作したのは、加治工トヨ(大正2年生まれ)、佐加伊ハツ(大正4年生まれ)、大春江(嘉手川清の娘、大正11年生まれ)、請盛すゑ子(八丈島出身)、狩俣カマド(狩俣正三郎さんの母)、という。「島で織った反物を、(当時、沖縄本島にいた島仲彌氏のもとに)、宮良透(大正元年生まれ)が持ってきた。」「那覇市安里にあった(島出身の)前里(真栄里)文雄さんのうちに、前原栄友、わたし(島仲)が、毎晩集まった。前原と二人で、(紅型を染めるための)寄付を集めに行った。」「城間(栄喜の工房)に、前の幕(仲筋蔵1961年制作「紺地松竹梅波文様紅型幕」)を持って行って作った。城間が紅型をやっているということを知っていたので。」また、東集落:1952年(昭和27)8月制作の幕は、伝統的な紺地松竹梅鶴亀の模様で、城間栄喜による仲筋の幕と同模様。現在は使用していないが、仲筋と同じく生地は集落の婦人たちによる芭蕉布。【内盛スミ(大正14年生まれ)の話】:〈生地の作製〉「婦人会の人たちで話し合いをして、何よみくらいだよ、と聞いて。一人で半斤、600グラムを一人で紡いだ。昼も夜も紡いで。すぐに織れるようにしてくるわけ。太めにいれてとか。上布ばかりつむいでいたおばさんは、糸が細かすぎて怒られていたよ。」■■■■■― 435 ―
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