鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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研 究 者:新潟県立万代島美術館 美術学芸員 飯 島 沙耶子1、はじめに岩佐又兵衛(1578−1650)は工房を主宰し、時世風俗画や長大な古浄瑠璃絵巻群などを制作する一方、日本の王朝物語や軍記物語、中国の故事人物などの伝統的主題も多く手がけ、重要なレパートリーとしていたことが現存作例から窺える。しかし現在の又兵衛研究において、時世風俗画や古浄瑠璃絵巻群はその図様の源泉や制作背景をめぐって議論が交わされるものの、故事人物図についての考察は未だ不十分と言わざるを得ない。そこで本研究は、又兵衛の故事人物図の中でも出色の出来栄えを見せる「金谷屏風」(注1)を取り上げて、又兵衛が伝統的主題にいかに取り組んだか、その一端を明らかにすることを目的とする。又兵衛の故事人物図の中には、押絵貼屏風や画巻だったものを改装して一図ずつに分割したものがあり、ゆえに散逸したり各所蔵者のもとにばらばらに所蔵されたりしている場合が多い。こうした状況も故事人物図の研究が遅れた一因であろう。本稿で取り上げる「金谷屏風」もまた、もともと六曲一双の押絵貼屏風であったが、現在は十二図の掛幅として各地に所蔵されている(うち二図は所在不明)。各図の主題と所蔵先は右隻第一扇より、「虎図」(東京国立博物館)〔図1〕、「源氏物語 花宴図」(所在不明)〔図2〕、「源氏物語 野々宮図」(出光美術館)〔図3〕、「龐居士図」(福井県立美術館)〔図4〕、「老子出関図」(東京国立博物館)〔図5〕、「伊勢物語 鳥の子図」(東京国立博物館)〔図6〕、「伊勢物語 梓弓図」(文化庁)〔図7〕、「弄玉仙図」(摘水軒記念文化振興財団)〔図8〕、「羅浮仙図」(個人)〔図9〕、「唐人抓耳図」(所在不明)〔図10〕、「官女観菊図」(山種美術館)〔図11〕、「雲龍図」(東京国立博物館)〔図12〕である。これら全ての図には「碧勝宮圖」と読める白文方印が捺されている。又兵衛の画業は在住した土地によって、京都時代、福井時代、江戸時代の三期に分けられる。「金谷屏風」は福井の豪商、金屋家に伝来したことから(注2)、福井時代初期に制作された可能性の高い作品であり、脈絡のない和漢の主題を貼り交ぜ、かつ海北派や雲谷派、土佐派など、漢画とやまと絵の諸流派の技法を折衷的に用いている点で又兵衛の雑種的性格を最も顕著に示している。そのため「金谷屏風」では幅広い様式の使い分けが未だに未消化であり、又兵衛自身の様式はまだ確立されていなかったとする意見もあったが、むしろ本作からは又兵衛が当時身に付けていた多種多様な技法をかなり意識的、意欲的に用いようとした姿勢が見られる。つまり本屏風は、又― 35 ―④岩佐又兵衛の故事人物図に関する研究

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