鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  友 田 真 理はじめに中国西部、陝西省の省都西安から北方におよそ250kmほど離れた楡林市や、そこから無定河沿いに南下した綏徳県・米脂県一帯、また楡林市の北方に当たる神木県等の地域(以下、陝北地域と総称)は、漢代画像石の出土が集中する地域の一つである(注1)。この地域から出土する漢代画像石は、他地域には類例を見ない特異な図像配置や図像表現をとることで知られており、中でも特に注目されるのが、墓門の門楣や門柱部分にあらわされる、神話的図像の存在である。本報告では漢代、塞外民族との雑居地帯であり、文字通り漢帝国のフロンティアであった陝北地域における特異な神話的図像の図像表現が、いかなる思想的背景と図像的淵源を持つものであったかを探る一つのケーススタディとして、西王母の図像、及びそれと不可分の関係にある牛首人身像・鳥首人身像に特に焦点を当てて見て行くこととしたい。1.陝北地域出土画像石の構造的特徴と西王母図像陝北地域から出土する画像石の画像は、門口を囲む形で、横長の門楣と、縦長で一対をなす門柱(及び門扉)に配されるのが通例である〔図1〕。四川地域を除く他の主要な画像石分布地域においても、墓室内における基本的な配置はこれと大差はないが、他地域の画像石が通常、個々の石にあらわされた画像を装飾的な枠線で囲い込み、それぞれを独立したものとして区別しているのに対し、陝北地域の地域的特徴として看過しえないのは、多くの作例において、枠線を逆に利用することで門楣と門柱を一つながりのものとしている点である。このように、門口全体であたかも一つの世界観をあらわさんとするかのような図像配置は、この地域における画像石墓の構造的特徴と無関係ではない。陝北地域における画像石墓、殊に二世紀前半ごろに多い単室墓の場合、図像が配置できるのは墓門の周辺のみとなる。そのため、必要最小限の図像を門楣・門柱(及び門扉)に集中的に詰め込む必要があったことは容易に推測が可能であるが(注2)、菅野恵美氏の指摘にあるように、その図像配置はしばしば構成的に著しい一致を見― 443 ― 異域と異界─陝北地域出土漢代画像石に見られる神話的図像の地域的特徴をめぐる考察─

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