鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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特徴からすれば、陝北地域に特徴的な山岳に居す西王母の姿は、強い地域性を持って各地に分布する後漢時代の西王母図像の中では、比較的古様な表現を留めたものと言うことができるのではないか。陝北地域の画像石において山に居すものは、西王母だけではない。先にも述べた通りこの地域の山岳表現に伴う人物像にはいくつかのバリエーションが存在するが、その中でもひと際異彩を放っているのが、しばしば有翼の姿であらわされる、牛首・鳥首人身像の組み合わせである。このような牛首・鳥首人身像の組み合わせは陝北地域に特徴的な図像の一つとされ、A:図像表現・配置ともに西王母のそれと近く、柱石の上部(或いは楣石)に、屈曲しオーバーハングする山上に坐す姿であらわされる類型〔図6〕のほか、B:柱石の下部に、武器を持つ(或いは佩く)姿の立像で門吏のようにあらわされる類型(前掲〔図2〕参照)が存在する(作例の一覧は〔表1〕を参照)(注10)。このうちAについては、西王母(東王公)と同様、屈曲しオーバーハングする山上に坐す姿であらわされることから、西王母・東王公を獣の姿であらわしたものとする解釈が行われる一方で、それに対する疑義も提示されており、議論は決着していない。しかしこれら山上に坐す牛首・鳥首人身像の組み合わせは、例えば米脂県官荘1号墓など、やはり山上に坐す西王母像と同一墓葬内で併用されている例が確認できる。このような例は他にも複数知られるため、これらはやはり別個のものして考えるべきであろう。西王母と牛首・鳥首人身像の混同は、一つには彼らが共通して坐す山岳の、途中で分岐しオーバーハングするという形状が、あまりにもよく知られた崑崙山の形態的特徴と一致しているために起こったものかと思われるが、崑崙山がオーバーハングした形状であることを明言する史料は、六朝期にまで下る(注11)。オーバーハングした山岳の表現は確かに前漢時代後期以降、西王母としばしば結びつくが(注12)、一方で〔図4〕に挙げた鄭州市出土画像磚のように、通常の山岳景を伴う例も存在している。そのため陝北地域におけるオーバーハングした山岳表現は、これを単に天地を媒介する宇宙山的性格をあらわすものと見なすに止め、強いて崑崙山と特定しないほうが穏当であろう。そもそもこのような獣首人身像は、後漢時代前期の山東・江蘇地域出土画像石においては西王母に近侍する姿でしばしばあらわされ、これが陝北地域における牛首・鳥首人身像の図像的淵源となった可能性が従来より指摘されている(注13)。しかしながら、特に山東地域の祠堂画像石において、西王母に侍るのは鳥首人身像のみ、或い― 446 ―

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