鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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兵衛の野心的な作品であったと考える。それは一双の屏風の中でも様々な筆法でわざわざ描き分けている点や、一図の中でも和漢の折衷的な技法が用いられている点、また描き直しが認められる点からも、又兵衛自身が試行錯誤しながら一貫して筆を執っていたことを窺わせる(注3)。それに対し、現存する他の故事人物図は、「金谷屏風」のような意識的な技法の使い分けは認められず、また筆線も均質化していて工房作と思われる作品も多い。次に画面形態に注目すれば、押絵貼屏風は一作品中に異なる複数の主題をとりまぜて描くことができ、また多くの需要に応えるため、工房の弟子らを使って複数の絵を同時に制作するのに適している。加えて自身が手がける画題の広さと技法の多様さとを同時に喧伝できる格好の画面形態であり、それはより多くの顧客を得るのに大いに効果を発揮するだろう(注4)。すなわち福井移住後の又兵衛にとっても、押絵貼屏風は新規の顧客獲得のためにあらゆる技法、かつ幅広い画題を披見できる点で大いに都合がよかったと想像できる。2、「金谷屏風」に見られる対意識前述したとおり「金谷屏風」は和漢の脈絡のない画題を貼り交ぜたと言われるが、本作には対幅としても鑑賞できるよう画題や構図が考えられていたと思われる図がある。例えば「雲龍図」と「虎図」はその典型的な例である。さらに「伊勢物語 鳥の子図」と「伊勢物語 梓弓図」はそれぞれ『伊勢物語』第50段と第24段に取材しており一見対作品には見えないが、前者では男を、後者では女の姿を単独像で描き、しかも両図とも「浮気」という物語内容が共通する。また「羅浮仙図」については、竹籠を持っている姿から描かれているのは羅浮仙ではなく、竹籠を売り歩いて両親(龐居士と龐婆)を養った霊昭女であると筆者は考えるが、「金谷屏風」には霊昭女の両親を描いた「龐居士図」があり、この二図を親子の姿を描いた対幅、つまり「三龐図」として鑑賞することもできる。そして「官女観菊図」と「野々宮図」も対幅として描かれたと考えられる。「官女観菊図」については、長らく主題が不明とされてきたが、筆者はこの図が『源氏物語』賢木帖に取材しており、かつ「金谷屏風」のうち「野々宮図」と対をなすことをかつて指摘した(注5)。この点についてさらに踏み込んで考察したい。3、「官女観菊図」と「野々宮図」「官女観菊図」は、牛車に乗る三人の女性のうち、侍女と見られる一人が御簾を持― 36 ―

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