ち上げ、母娘と思しき二人が野に咲く菊を眺める姿を白描やまと絵の手法で描く。三人の女性たちは、「豊頬長頤」と呼ばれる又兵衛の人物描写の特徴を備え、無表情にも見える顔貌描写は能面のようだが、一方で卑俗な艶めかしさを秘めている。本作が描くのは、かつて光源氏の愛人であった六条御息所が、斎宮となった娘と共に伊勢へと下向するために野々宮を去る場面である。左袖を口元に当てている女性が御息所であり、画面の一番手前で菊を眺めている女性が斎宮である。物語本文には本図の描写に合致する記述はないが、本図に描かれた菊、つまり秋草の描写は、伊勢下向が晩秋の出来事として書かれている点と一致する。しかし「官女観菊図」は源氏絵の伝統から見れば異例の場面選択である。賢木帖で好んで絵画化された場面は、光源氏が伊勢下向直前の御息所を訪ねる場面であり、本作のように御息所の伊勢下向に焦点を絞った作品は例を見ない。そこで本図の主題を理解する上で手がかりを与えてくれるのが、「金谷屏風」の一図、「野々宮図」である。「野々宮図」は『源氏物語』賢木帖の一場面を主題とし、光源氏が御息所を訪ねて野々宮へやってきた場面を描く。こちらの作品にも嵯峨野を象徴する秋草として菊が描かれていることは、「官女観菊図」が同じく賢木帖に取材している可能性を一層強める。「野々宮図」は一人の童随身を伴いこれから御息所に会おうとする光源氏が、野々宮の象徴である黒木の鳥居の下に立つ姿を描き、物語の最高潮を迎える直前の主人公の姿を捉えた一図である。描法については、わずかに人物の頬や唇に朱を淡く施す他は墨のみで描かれ、一見白描やまと絵のようにも見えるが、水墨画の手法も用いられ、和漢の手法が混在する。装束を見れば、肥痩の大きい墨線で衣紋線が描かれ、細緻な文様が丹念に施され、墨の濃淡で陰影がつけられ量感が表される。菊などの秋草や小柴垣などの背景は水墨画の手法で描かれ、黒木の鳥居も水気の多い墨で筆を面的に用いて描き出されている。 さて、光源氏が訪れた9月上旬の嵯峨野の情景は、『源氏物語』本文で「はるけき野辺を分け入りたまふよりいとものあはれなり。秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごくふきあわせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり」と記述される。晩秋の嵯峨野の冬枯れに近い荒涼とした侘しい情景は、「野々宮図」においてモノクロームの世界として効果的に描かれる。小柴垣がジグザグと鋭角で折り曲がりながら画面上方へと消えていき、鳥居に下がる紙垂は風に揺れて、嵯峨野の物悲しい情景を一層強調する。その風を感じるように立つ源氏は弓なりの姿勢で、秋草の描く曲線と呼応する。画面上― 37 ―
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