「組織工芸も一個の美術」と主張した斎藤は、全体を美的に統一する役割を果たすモティーヴの表現において図案家=芸術家としての個性を表そうとした。このことは、「様式」ではなく「モティーヴ」を重視した考え方に現れている。例えば1928(昭和3)年の出品作《食後のお茶の部屋》〔図5〕が「時代遅れ」と批判されたことに対して斎藤は、「藤棚の蔦」というモティーヴとの相性からして「新しいと人の思ふ表現派風室内の骨組に行く方が」はるかに楽であったにかかわらず、審査委員に「穏健な日本趣味」だとおもわれる必要があったと弁明している(注13)。つまり、斎藤において部屋の「骨組」すなわち様式は交換可能なものであり、出品作の「骨組」には、日本人に馴染み深い日本趣味が当てられたのである。標題音楽においてモティーヴが文学的要素を表現するように、「組織工芸」においてモティーヴは詩的連想を誘う役割を担っている。造形的に見れば、《食後のお茶の部屋》のモティーヴは表現主義的な曲線によって表され、この線が家具類のアウトラインと壁や絨毯などの平面の模様を統一し、空間を規定する役割を果たしている。だが、こうして表現された個性に共感するか否かは、個々の趣味判断にゆだねられる。《食後のお茶の部屋》は、日本趣味により様式上の普遍性を狙ったが、例えば川路柳虹は、これを生々しい個的趣味の表現として受け止めた(注14)。斎藤は、「空間芸術は「からだ」全体で観照されるべきもの」とした(注15)。「組織工芸」は、こうした意味で身体的な経験を与える。その時、良くも悪くも、モティーヴによる「自己表出」が鑑賞者の印象を決定づけたことがわかる。装飾と前衛芸術の近接斎藤の「装飾美術」作品は、生活空間の質を問うものであったという点において、帝展美術工芸部門では類を見なかった。帝展では、純粋美術のみならず、「美術工芸」もまた、作品そのものが鑑賞の対象と認識されていたのである。だが「美術」という帝展の枠組外に目を向ければ、同じく装飾と生活空間についての問題意識を持ち続けた今和次郎の存在が注目される。1924(大正13)年、今は、滝沢真弓のバラック装飾社批判に答える一文の中で、装飾についての考えを示している(注16)。分離派の面々が、建築の美をその純粋な構造体に求めるがゆえに装飾を拒否するのに対し、今は、「飛躍せる感情」を建築の表面を利用して表現し、建築美の認識範囲の拡張の基盤のうえに立つという。また、今が唱える「アブソリュート・パターン」とは、物質付随の文様ではなく、人間の心を直接表現するための技とみられるべきであり、この追求は、空間へ人間生活を表現しようという仕事を完成する上で重要という。― 460 ―
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