注⑴『「総合芸術」の夢 斎藤佳三展』朝日新聞社、1990年;「日本的モデルネと斎藤佳三の「表現主義的日本趣味」」『日本の眼と空間.1』セゾン美術館、1990年;『斎藤佳三:ドイツ表現主義建築・夢の交錯』INAX出版、1992年ほか⑵2006年には東京芸術大学大学美術館において調査・研究をふまえた「斎藤佳三の軌跡 大正・1978年、262頁所収)昭和の総合芸術の試み」展を開催した。⑶斎藤佳三「秋の展覧会と劇場(上)」『読売新聞朝刊』1913年10月23日⑷有島生馬「感想の断片」『藝美』1914年5月、4頁⑸上田敏「創作」『太陽』20−1、1914年1月(『定本上田敏全集第5巻』教育出版センター、⑹斎藤久邇子「リズム模様の新らしき春着」『技芸』1−1、1924年3月、31頁⑺斎藤佳三「リズム模様と其応用」『帝国工芸』1−4、1927年8月、28−29頁⑻斎藤佳三「美術家の自覚(下)」『時事新報』1919年12月11日⑼斎藤は、装飾美術、組織工芸、空間美術など複数の語を用いているが、本稿では字数の都合上それらの詳細には触れず、基本的に装飾美術という言葉で統一する。⑽斎藤佳三「日本人の服装問題」『新小説』23−3、1918年3月、29頁⑾斎藤佳三「純粋美術と装飾美術」『中央美術』1920年3月、113 頁⑿「悩みの帝展第四部に出品者が公開状 「想ひを助くる室」の異論に就いて 憤つた斎藤佳三氏」『東京日日新聞』1927年10月10日⒀斎藤佳三「組織工芸の観賞─藤井達吉氏に─㈠〜㈢」『時事新報』1928年11月11−13日⒁川路柳虹「斎藤佳三君を語る」『アトリエ』6−3、1929年3月、72頁⒂斎藤佳三「空間芸術は生活の交響詩である」『美の國』4−5、1928年5月、21頁⒃今和次郎「装飾芸術の解明」1924年2月(今和次郎『造形論』、ドメス出版、1972年、61−65頁所収)⒄今和次郎「土間の研究図」1927年2月(今和次郎『造形論』、ドメス出版、1972年、268頁所収)⒅日本デザイン小史編集同人編『日本デザイン小史』ダヴィッド社、1970年⒆斎藤と今が教職にあった時期、図案科卒業制作に「装飾画」あるいは「装飾模様(図案)」等と題する、絵画作品といってよいような一連の作品が見受けられる。その殆どは油彩画で、西洋画科の卒業制作買上げ作品の傾向とは異なり、多くが表現主義やキュビスムなどの新たな海外動向を意識したものである。― 462 ―
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