鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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比較的早い時期の作品では、大正13年(1924)の尾竹竹坡による《市・町・村》〔図3〕がある。注目したいのは、中央の市を描いた面で、大正3年(1914)に竣工した東京駅が描かれ、後方には近代的な建築群、画面下部には路面電車や人々が細かく描きこまれる。発表当時の批評では、否定的な評価をするもの(注2)も見られるが、「かなり人気を集めている。そしてたしかにおもしろい。」(注3)と当時の人気を伝えるものもある。その他、昭和3年(1928)第9回帝展において特選を受けた池田遥村《雪の大阪》も雪の中之島の情景を近代的な建築と共に描き、「可なり展覧会意識のつよい絵ではあるが、又そこに日本画にしてはモダーンな一種の興味がないではない。」(仲田勝之助『東京朝日新聞』昭和3年10月25日)とされた。昭和5年には、玉井安秀《大川に暮るる》、松垣鶴夫《昭和日本橋》、吉田茂《上野近景》などが当時の都市の風景をいずれも俯瞰の構図で、建築や人物を配した東京の都市風景を描く。また、このような近代的な都市風景の表象という点であげておきたいのは、石版画や木版画の作例である。恩地孝四郎、川上澄生、平塚運一、深沢索一、藤森静雄、逸見亨、前川千帆、諏訪兼紀の8人の版画家による『新東京風景』は、震災により変化を遂げた東京の風景を題材としている。『新東京風景』は、昭和3年(1928)10月に先述の8人によって結成された卓上社を結成し、日本橋丸善において第1回展を開催したことが核となっている(注4)。50部限定で頒布され、取材範囲は幅広く、東京駅、日本橋、浅草、銀座などの地域を描き、地下鉄、カフェ、公園、ビルといった近代以降の施設を多く捉えている。銀座を描いたものは、昭和2年(1927)の川上澄生による「銀座」や恩地孝四郎の「邦楽座内景」がある。川上澄生の「銀座」〔図4〕では横長の画面に様々人物が建物、路面電車と共に現わされる。恩地孝四郎による「邦楽座内景」は《十字街を行く》にも描かれる邦楽座の内部の様子を捉えている。《十字街を行く》に描かれた場所は、背景として描かれた銀座教会や邦楽座の位置を考えると、銀座四丁目付近が描かれている。震災後の銀座には、次第にエロ・グロ・ナンセンスの退廃的な風潮が浸透してきたと先に触れたが、それは主に銀座二丁目に代表され、銀座四丁目付近は、明治以降時計店、パン屋、貴金属店、書店といった店舗が進出し、活況を呈していた。さらに、銀座通り東側には震災以降相次いで、百貨― 466 ―

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