鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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た同時期の作品は、他の側面ももっていたように思われる。次章では、当時の作品制作に対する画家の意識の問題に触れ、さらに受容の在り方についてさらなる検討を加える。第三章 同時代女性像の受容の側面当時の帝展は非常に強い集客力をもち、その観衆は様々な階層の人々が入り混じっていた。そして美人画は特に「大衆」の人気を集めたジャンルであったことが同時代の帝展評などの資料から伝わってくる。さらに「展覧会は大衆を美術に馴致せしめたが、これを通じて美術の方も大衆に適応したのである。」(注8)とも指摘されている。また、柿内青葉らの師である鏑木清方が同時代女性像の増加に大きな影響力をもっていたことは先述したが、清方は「大衆」と美術に関しても興味深い言葉を残している。「帝展の日本画には、何が描かれて居るかと云う事を、先づ問題として取上げて見たい。(中略)大衆に見せるのが目的である今日の展覧会に於て、何を描くかは決して第二に置くことはできない。」(鏑木清方「帝展の日本画」『芸術』9巻19号、昭和6年[1931]10月)清方は帝展の目的を「大衆に見せる」こととし、何を描くかという主題を重視する姿勢を表明している。このような清方の言葉が同時代の帝展に出品する画家に与えた影響は決して小さなものではなかっただろう。帝展作品の大衆性を考察する上で、興味深いことがある。それは、大正末期から昭和初期において増加する同時代の女性を描いた作品において表現された女性像が当時の婦人雑誌を飾った画報記事の女性表現と共通点をもつことである。例えば、この時期の日本画作品では、洋犬を描いた作例が多くみられる。また屋外で藤椅子に座る女性像も流行した。これらに関して、それぞれ類似の表現を婦人雑誌の画報記事の中に見出すことができる。また、しばしば日本画においては、編み物をする女性像が描かれたが、編み物は婦人雑誌の画報において紹介される女性の趣味として、写真中や写真につけられたキャプションによって登場している。大正15年(1926)の中村大三郎の《ピアノ》は、画家の作風転換を示すと同時に帝展においても、エポックメーキング的な役割を果たしたとも評されるが、ピアノもまた、令嬢紹介記事などで、趣味としてあげられることが多かった。以上の例からは、日本画、婦人雑誌の記事双方において洋犬や編み物、ピアノといった動作とともに、女性が表現されていることがわかる。そこで描かれ、あるいは紹介されるのは主とし― 470 ―

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