鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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注⑴服部銈二郎「銀座の象徴性─商業近代化に果たした銀座の役割─」『立正大学人文科学研究所て裕福な上流階級に属する女性たちであり、洋犬などのモチーフやピアノ、編み物といった動作は、モダン味を感じさせるものとして、女性とともに表現された。画報記事を多く掲載した、『婦人画報』の写真は、『婦人画報』を発行していた東京社が各種記念写真の出張撮影を雑誌の発行と兼ねて業務として行っており、その写真を雑誌に用いていたことが指摘されている。また、大正期には写真機の普及を背景とし、読者からも写真を募っていたが、そのような読者により撮影された写真も画報の表現と類似していた。和田敦彦氏は画報記事に関して、「画報の受容において、何が望ましいか、どういう人たちに憧れるべきか、」といういわば「羨望のルール」が「読み手に印づけられてゆく」とする。さらに、画報記事に取り上げられるのは、主に皇族や華族の子女、女学生などの上流階級に属する女性であるが、そのような集団は、「実際の階級でも職種でもない。」とし、「写真という瞬間の演出と趣味や家柄を書き込むキャプションによって装飾されることで作り出される集団であり、「かわいさ」、「気高さ」、「幸せ」といった面を突出させることで極度に記号化された、それゆえどこにもいない誌上の集団だ。」とする。以上のような指摘は、本発表で検討している同時代女性を描いた日本画作品を考察する上で、注目に値するのではないだろうか。つまり、つまり洋犬やピアノなどの西洋を感じさせるモチーフにより演出された女性像を描く日本画作品において描かれた女性像もまた、鑑賞者の羨望を集める存在であったといえるのではないだろうか。このことと、帝展の観客が大衆化していたこと、さらには鏑木清方の大衆を重視する姿勢を考え併せるならば、大正末期から昭和初期に帝展に出品された多くの上流階級を描いた日本画作品の受容の一端が見えてくるように思われる。おわりに本報告では、主に柿内青葉の《十字街を行く》を中心に考察を行った。今後さらに、柿内青葉の画業に関して考察を深めるとともに、山田喜作や榎本千花俊らの同時代女性像を描いた鏑木清方門下の画家に関してもそれぞれ検討していきたい。年報』11、1973年― 471 ―

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