鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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以上みてきたように、金戒光明寺十六羅漢像は、萬福寺十八羅漢像の第17尊者と第18尊者を除く16軀と、姿かたちが共通する。しかしその一方で、表現には和様化を指摘することもできる。まず、服制をみてみると、全て共通する。衣文をみてみると、萬福寺第13尊者像にみられる、結跏趺坐した両膝にあらわされた衣文が、弧を描く表現は、金戒光明寺第15尊者像でも採用されるなど、共通する部分も見受けられる。しかし萬福寺第4尊者像の特徴的な細かい襞は、金戒光明寺第16尊者像では採用されていない。また、衣に施された文様は、萬福寺像とは異なる文様が多く採用されている。例えば鳳凰や龍、獅子、麒麟、葡萄や栗鼠などが盛り上げ彩色で描かれているが、これらの文様は中国風を意識したものと考えられる。次に表情をみてみると、金戒光明寺像では萬福寺像の異国人風の顔立ち、表情はあらわされず、全ての像が穏やかな顔立ち、落ち着いた表情をみせる。例えば萬福寺第8尊者像にみられる、歯を一本のみあらわす一種奇怪な表現は、金戒光明寺第12尊者像では採用されず、口を閉ざしてあらわされている。ただ、金戒光明寺像の、鼻を大きめにあらわし、小鼻を横にひろげた団子鼻ともいえる表現は、萬福寺像の丸い鼻を意識したものとも考えられる。おわりにかえて金戒光明寺十六羅漢像は、制作時期や制作者は不明であるが、山門の完成時期である万延元年(1860)以前と考えられるだろう。制作者について銘文はないが、頭体のバランスがよく、16軀全体でまとまりがあることから、京都町仏師の手によるものと考えられる。浄土宗の金戒光明寺に、萬福寺十八羅漢像と姿かたちが共通する羅漢像が安置されたことは、京都・知恩院十六羅漢像や京都・南禅寺十六羅漢像のような、中世末から近世初期に制作された動きの少ない伝統的な日本の羅漢彫像に加えて、萬福寺十八羅漢像の図様が、唐様(黄檗様)の羅漢像の一具として京都を中心とした近世造像界に浸透し、認識されていたことを示すと思われる。金戒光明寺門前には、黄檗僧が住していたことが知られるほか、浄土信仰を持っていた黄檗僧もおり、少なからず黄檗派との交流があったことも、唐様の羅漢像を安置する機縁となった可能性がある。今後も羅漢像の研究を進めるなかで、萬福寺十八羅漢像が日本の造像界にどのような影響をもたらしたのか、その変遷をたどることができればと考えている。― 483 ―

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