5、車のイメージと謡曲「野宮」次に注目するのは、「官女観菊図」において「車」のイメージが殊に強調されているという点である。一つ目の「車」は三人の女性が乗る牛車である。牛車は画面の大部分を占め、濃墨の面と彫塗りによってかたどられ、堅牢な構造物として女性たちを取り囲み、大きな存在感を示している。そして二つ目の「車」は、御息所の装束に小さく密かに描きこまれた「流水に片輪車」の文様である。この二つの「車」のモチーフが連想させるのは、『源氏物語』葵帖における車争いのエピソードである。光源氏の正妻、葵上の牛車と賀茂祭の場所取りを争い、敗れるという屈辱を受けた御息所は、後に生霊となって葵上をとり殺す。結果として車争いは御息所と源氏の間に大きな溝を作るきっかけとなった出来事であった。「官女観菊図」における車のイメージは、この「車争い」を想起させるために意図的に描かれたと考えられる。ところで、謡曲「野宮」の中にもまた「車」という言葉がしばしば登場する。シテである六条御息所の亡霊は、「野の宮の、秋の千草の花車、われも昔に、めぐり来にけり」(下線筆者)(注9)と謡いながら牛車に乗って再び旅の僧の前に姿を現す。僧が、「さもあれいかなる車やらん」と問えば、御息所は「いかなる車と問はせ給へば、思ひ出たりその昔、賀茂の祭の車争ひ」と答え、車争いの屈辱を語りだす。そして「よしや思へば何事も、報の罪によも漏れじ、身はなほ牛の小車の、めぐりめぐり来ていつまでぞ、妄執を晴らし給へや」と語る。自分の身が前世の悪業の報いを免れず、依然として辛い輪廻の境涯から抜けられずに、同じ苦しみを繰り返しているのだと僧に訴えるのである。やがて去っていく御息所を送りながら、「また車に、うち乗りて、火宅の門をや、出でぬらん」と謡われる。「火宅」、すなわち煩悩や迷いが渦巻く現世を出て、果たして御息所は成仏したであろうか、というこの結びは、『法華経』第三章「譬喩品」に説かれる「火宅論」を踏まえている。このように謡曲「野宮」において「車」は「車争い」を示すとともに、未だに悟りを得ることができずに輪廻転生を繰り返している御息所自身の姿を象徴する、仏教的な意味を含んだ重要なモチーフとして登場するのである(注10)。「官女観菊図」に戻れば、御息所の装束に描かれていた「流水に片輪車」という文様もまた、牛車の車輪を川に浸す情景を意匠化しただけに留まらず、仏教的なイメージを含むことが指摘されてきた。例えば衛藤駿氏は、「流水片輪車の意匠は、仏教の中でも極楽浄土への希求という象徴的な意味を持つ。仏教の説く輪廻転生を眼前する都の風物に託して表現した」と述べ、玉蟲玲子氏は、「車輪は、密教法具の形(輪)と重なることによって、仏の教えが広まり、多くの人々がもつ煩悩を打破して、救済― 40 ―
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