し、1648年から始まるプッサンの英雄的風景画の根底に流れる主題が「運命の女神が何も疑わない人間に働く奇妙で残酷な策略の観念」であることを提起した。もしできるのなら、これらの七つの秘蹟を、七つの別の物語に変えられたらと思います。そこでは、運命の女神が人間たち、とりわけ彼女の努力を嘲笑した人たちにかつて行ったことのなかで最も不思議な策略が生き生きと表現されます。これらの例は取るに足らないことではなく、それらを見た人に、この盲目の狂女の努力に対してぐらつかず泰然としていられるために獲得しなければならない徳と知恵を慮ることを想い起させるものです。しかし、彼女が吹き起こす嵐から逃れられるのは極度の知恵と極度の愚のみしかありません。一方はあちら側に、他方はこちら側におり、中間の性質の人々は女神の苛酷さを感じることから免れないのです(注16)。この一節は、「七つの秘蹟」が完了した後の支援者シャントルーへの新たなプロポーザルでもあるが、この文章のあとでプッサンがシャントルーに対して、「貴殿が今後奉公を離れることなく、大きな驚きなしに友人の喪失に会うことができないのなら、それらはよりあなたの心を打つことは疑いありません。瞑想することばかりする人は、何らかの失寵に見舞われたり、痛いところを突かれた時、経験は机上とは違うことをよく了解します。」と述べた後、友人ヴォワチュール(1597−1648)の死去に心を落とさないように慰めているように、シャントルーの心痛を和らげるためのものでもあった。先の運命の女神の一節は、モンテーニュの「愚味と賢明は、人生の災難に会うと、同じ感じ方と不屈さを示す。賢者は不幸を統御し、愚者は不幸に気がつかない。いわば後者は災難のこちら側に、前者はあちら側にいる。」(『エセー』54章)という文章に関連が指摘されている。また、ピエール・シャロン『知恵について』(1601)の次の一節との関連をヴァーディが指摘している。最初と最後の、より低い人々とより高い人々は、決して世の中を騒がすことなく、何物も動かすことはない。一方は無能さと弱さとで、他方は大きな能力と堅固さと知恵によって。中間の人々があらゆる雑音、この世の自分勝手で、絶えずかき乱しかき乱される諍いを作り出す。最も低い人々は、地所、酒粕、汚水だめのように歩み、上からやってくるものを甘受するだけの地面に似ている。中間の人々― 492 ―
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