鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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プッサンやその顧客は総じてマザランやその一派に敵対的で、高等法院側に与していた。その一方でプッサンは民衆の愚かさも強く意識しており、社会的な混乱を快く思っていなかった。この時期にはヨーロッパ各地で政治的な出来事が多発するが、それらに対する感想を1649年1月にプッサンは次のように述べている。イギリスから奇妙な知らせが届いています。ナポリでも何か新奇なことがあります。ポーランドでは天地がひっくりかえっています。神は恩寵によりわがフランスを脅かす者から守ってくれています。神は我々がどうしているかはお見通しです。しかしながら、このような大きな出来事が起きる世紀に生きていることは大きな喜びです。喜劇を気ままに眺めるためにどこかの片隅の安全な場所に身を置くことができるのなら(注19)。プッサンは、ルイ13世没後からフロンドの乱の勃発する間の母国における混乱や同時期のヨーロッパ各地の混乱に大きく心を動かされ、それが制作の原動力の一つになっていたことは疑いない。3 「真実は時の娘」─フォキオン伝連作における語りと寓意─ジョナサン・リチャードソンJr.は、1719年にプッサンの風景画のいくつかの作品にみられる前景と背景の齟齬に次のような注意を促している。プッサンは、その風景に導入した人物に関して、《蛇から逃れる男》や《フォキオンの葬送》におけるように、いささか誤りを犯しているように思われる。一方は不慮の事故であり、もう一方は史伝であるが、どちらにおいても舞台が役者と一致しないのである。なぜなら、両方の主題は荘重で、畏れ多く厳粛であるのに対して、風景は晴れやかで心地よいからである。そのため心の中には全く相反する感情が生ずる。逆の思考を引き起こすものを同時に目にした時、美しい土地が当然与える喜悦を得ることは不可能である。風景の陽気さあるいは美しさは、憐みを引き起こさなければならない対象について行う真摯な思索を妨げるからである(注20)。この観察は《葬送》の特質を考察する上で注目すべきものと思われるが、これを画家の誤りとしていいのかには疑問の余地があり、むしろ宙吊りの感情を引き起こすとこ― 494 ―

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