ろに画家の意図があるのではないだろうか。《葬送》だけではなく《収集》も考え合わせながら、少し詳しく作品を見て行こう。《葬送》の背景には、3月のゼウスの祭りの情景が描かれ、祝祭の気分が横溢している。さらに注目すべきなのは、画面中央の塚には「ネロの墓」に由来する豪華な墓が描かれていることである(注21)。その真下にフォキオンの遺体の搬送が描かれており、両者が対比的に配されている。死刑に処するだけではなく、火葬を市内で認めないという冷酷な仕打ちと、立派な墓が対置されることでその不正さが強調されている(注22)。さらに言えば、この対比的な視覚的な隠喩は、アテネ市民のフォキオンに対する「忘恩」の寓意が観者の心中に立ち上がる行為遂行的な配慮と解することができよう。それでは《葬送》の対作品である《収集》ではどうであろうか。《収集》でも背景の風景は前景の悲劇的な情景とは対照的に晴れやかなものであるが、《葬送》とは異なり華やかな雰囲気はない。《収集》の画面中央には、《葬送》における豪華な墓碑に対応するかのように、ギリシア風の神殿が描かれている。これはパラーディオの『建築四書』に掲載された「プーラの神殿」に由来するもので(注23)、この神殿はアウグストゥスに捧げられたものである。《葬送》でもギリシア風の神殿や建築が『建築四書』を参考に描かれており画家の時代考証に対する大きな関心をうかがうことができるのだが、建築物の配置には前景のモティーフと特に関連付ける配慮は見出されない。それに対して《収集》では、丘の上に置かれた神殿の背後にはピラミッド型の山塊が聳え立ち、神殿を含む山塊とその真下に配された前景の遺灰の収集の場面とが対置されている。この神殿の役割については、「いささか不可解な神格化を司っているように見える」(アラン・メロ)とようやくごく最近になって注目されたが(注24)、この作品の理解にとって鍵を握るモティーフであるように思われる。フォキオンの名誉は、プルタルコスが「果たして幾らも時が経たないうちに、政治情勢に教えられた民衆は、如何に思慮深く正義心に充ちて且つ偉大な指導者を失ったかを悟ってその銅像を建て、公の儀式を以てその骨を葬った」(注25)と述べたように、最終的に回復される。《葬送》では豪華な墓碑が前景のフォキオンの遺体の搬送の光景と対比され、アテネ市民の忘恩が強調されたのと対照的に、《収集》の画面中央、遺灰の収集の場面の真上に配された神殿は、フォキオンが祀られるべき場所を暗示しているのではなかろうか。興味深いのは、背後の山塊の上には雲が配され、光り輝くように描かれている。同様の光り輝く雲は、プッサンの《モーセの発見》や《キリストの洗礼》の背景にも見られ、主人公の栄光を造形的な手段で強調する役割を担― 495 ―
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