注⑴Poussin and nature : arcadian visions, catalogue by Pierre Rosenberg. New York : Metropolitan Museumof Art, 2008. プッサンの風景画をまとまって論じた最近の研究として次のものがある。Margaretha Rossholm Lagerlöf, Ideal landscape : Annibale Carracci, Nicolas Poussin, and ClaudeLorrain, New Haven, 1990; Sheila McTighe, Nicolas Poussin's landscape allegories, Cambridge, 1996;Clelia Nau, Le temps du sublime : Longin et le paysage poussinien, Rennes, 2005.っている。《収集》においては前景の悲劇的な情景とフォキオンが祀られるべき、あるいはいずれ祀られることになる高貴な神殿とが対置されることによってフォキオンの名誉の回復、すなわち賢明と正義の勝利が観者に向かって強調されているのである。《葬送》とは異なり《収集》において樹木を非常に葉の繁茂したものに描き分けたことは、二つの作品の性格の違いを際立たせるのに効果的に働いている。《収集》において、宇宙の理法に貫かれたかのような秩序ある荘重な自然の様相が強調されていることは、「中間の人々」に起きた魂=大気の乱れが再び治まったかのようである。こうしてみると、プッサンがフォキオンの風景画を対作品にしなければならなかった理由の一端が一層明確になる。仮に《葬送》だけであればフォキオンの屈辱が強調されるだけにとどまるが、《収集》と対置されることによって、つまり対比のレトリックによって、名誉の回復までが絵画的な手段によって喚起することが可能になっているのである。《オルフェウスとエウリュディケのいる風景》(1650頃)には《アルカディアの牧人たち》に込められた「死を逃れられない幸福」のテーマが表象されているとすれば(注26)、このフォキオン伝連作では画家が2度にわたって寓意画でも扱った「真実は時の娘(Veritas temporis filia)」〔図3、4〕(注27)のテーマが全体として表象されているのだといえよう。ヴァーディはフォキオンの質素さと清貧さにプッサンは自己との親近性を感じていたとしているが(注28)、デモリスはさらに踏み込んで、フォキオンの遺骸の追放にローマに追放され、歴史の舞台から退去した国王首席画家としての自らの境遇を重ね合わせた可能性を示唆している(注29)。悲劇に襲われながらも平静を保って死を受け入れ、最終的には栄光が回復されるフォキオンの生涯ほど、画家にとっても注文者の属する上流市民階級にとって、当時の混乱を極める政治的、社会的状況の中で範例となる人物はいなかった。教訓的なメッセージを観者に実感を以て伝達するには、伝統的な寓意画の形式では不十分であったのであり、英雄的風景画という形式を、とりわけ本作品では対作品という形式を必要としたのであった(注30)。⑵「英雄的様式は、芸術や自然が生み出しうるあらゆる偉大なものや非凡なものから抽出したも― 496 ―
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