注⑴本屏風は福井の豪商金屋家に伝来したため、「金屋屏風」と記すべきだが、長らく「金谷屏風」に導かれることを象徴している」と指摘している(注11)。このように「官女観菊図」における「車」のイメージも、車争いの屈辱を刻印するとともに、断ち切れない光源氏に対する思いといった御息所の煩悩をも象徴しているのである。6、おわりに以上本稿で考察してきたように、「官女観菊図」は源氏絵の伝統から脱却しながらも、限られた画面と巧みな構図、そして象徴的なモチーフを描きこむことで、緻密で重層的な物語空間を構築することに成功している。さらにそこに描かれた情景は、謡曲「野宮」で謡われた幽玄な世界に通じている。また物語の進行を説明的に描くのではなく、六条御息所や光源氏の心理に迫ることを優先させた描写は、又兵衛が物語本文や登場人物の心情を深く解釈していたからこそ可能となったと言えるだろう。本稿では主に「官女観菊図」と「野々宮図」について言及するにとどまったが、「金谷屏風」の他図の分析については別稿に待ちたい。という通称が使われてきたため、本稿でもそれに倣う。⑵来歴については次の文献に詳しい。戸田浩之「金谷屏風」(松尾知子編『伝説の浮世絵開祖岩佐又兵衛』千葉市美術館、2004年、27頁)。福井市立郷土歴史博物館編『福井藩と豪商:時代を彩った豪商たち』2006年。⑶「龐居士図」の竹の描写に描き直しの跡が認められる。⑷山根有三氏は「押絵貼屏風の遺品が、慶長以降に多くなり、かつ、それらには仕込絵と見られるものが含まれている」と述べている。山根有三「絵屋について」『美術史』48号、1963年。⑸拙稿「岩佐又兵衛筆 官女観菊図」『国華』1360号、2009年、20−23頁。⑹ただし制作時期は下るが、六条御息所を単独で描いた可能性のある作品として菱川師宣「立姿美人図」(出光美術館)がある。背後の秋草や、庭先にとまる御所車の文様が帯に描かれていることから、源氏が六条御息所を野々宮に訪ねた場面を連想させる。廣海伸彦執筆「菱川師宣筆 立姿美人図」『日本美術のヴィーナス 浮世絵と近代美人画』出光美術館、2010年、78頁。⑺拙稿前掲注⑸⑻天野文雄『能に憑かれた権力者 秀吉能楽愛好記』講談社、1997年、27頁。⑼謡曲「野宮」の引用は、小山弘志・佐藤健一郎 校注・訳『新編日本古典文学全集 謡曲集①』小学館、1997年、298−310頁による。⑽六条御息所の怨霊をシテとする謡曲「葵上」にも、曲中に「車」という言葉が縁語つくしで登場する。これについては、「車争いの生々しい描写は避けて、車の輪のごとき輪廻の思想を語りつつ、その背後に車争いを象徴的に連想させる手法」と指摘されている。河添房江「源氏物― 41 ―
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