鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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らに、美術が置かれるコンテクスト、すなわち設置される場所や建築空間といった環境、その空間に配置される美術作品や聖遺物などとの相互関係、儀式、祈りの言葉、見る者のまなざしなど、人間が「見えないもの」を自らと関係づける手法も重要であることにあらためて気づかされた。また、リアルなものと美術をはじめとする視覚的イメージの関わりについて問いなおす機会となったように思われる。イメージは、リアルなものを映し出す鏡のようなものとして理解されることが一般的である。そのような理解では、リアルなものはイメージに先立って存在していると位置づけられがちだが、むしろとらえがたい現実にイメージが形を与えてくれることによって、その対象がリアルなものになっていくということが明らかとなった。本会議がもたらした成果として特筆すべきであるのが、フランスと日本の美術の関係について、直接的な影響が想定される近代よりも以前の中世という時代を対象に比較考察する初めての試みとして、美術に関する学術的な成果という意味だけでなく、美術を通じた日仏を中心とする国際交流という観点からも多大な成功を収めたという点である。シンポジウム会場には、西洋中世美術史および日本中世美術史の専門家に加えて、日本文学や思想史をはじめとする幅広い分野の研究者も多数来場しており、このような観点や手法に基づく議論が幅広く多様な学術的な関心を呼び起こしたことを裏づけている。また、6名の発表者による研究発表だけでなく、討議を通じても、日仏の中世美術を比較することによって、多くの意義深い論点を引き出すことができるとともに、相互の美術に関する理解が深まる可能性がもたらされることに気づかされた。参加者のなかには海外から日本の文化を学ぶために留学してきている若手研究者も数名含まれていて、発表者とのあいだできわめて興味深い質疑応答や意見交換がなされていたことにも言及しておきたい。とりわけ高階秀爾氏の司会による全体討議を通じて、今後、本シンポジウムで取り上げた「見えないものの形」という包括的なテーマをさらにさまざまな個別的な問題へと尖鋭化することによって議論をいっそう深めていったり、あるいはさらに他の問題系列へと結びつけながら広く展開していくという方向性が提示されたことも、重要な意義をそなえている。こうした論点として、巻物や冊子という形式における運動・時間の経過・物語の表現、聖遺物と美術や建築の関係、地上と天上を隔てると同時に結ぶ雲の表現、登場人物が発する音声の可視的表現、登場人物の視線や身ぶりと不可視の存在との関係、日本におけるアレゴリーのあり方などを挙げることができる。またシンポジウムには多数の一般聴衆が足を運んでくださり、100席を超える日仏― 512 ―

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