影■訓郎■二■傾■■■■■■■■■■■■■■■■■■■あれ、街角であれ、また年齢や階層を問わず、江戸のあらゆる場面や表情を描写できるようになるためには、欠かせない課題であった。例えば、清長の黄表紙の中で、特に異彩を放つ天明2年(1782)の作『豆男江戸見物』における見開きは、浅草の仁王門をくぐる老若男女、貴賤さまざまな人物の生き生きとした描写で、清長の鋭い観察力をよく示している。確かに、黄表紙を通観すれば、物語の主役を演じているのは、江戸人そのものであり、さらにいうと、その周りの空間設定が閉ざされているのは圧倒的に多い。閉ざされた空間というのは、たとえば安永8年(1779)の『姉二十二妹恋聟』の中の2図が示しているように、茶屋の室内であれ、路上であれ、人々に焦点を当てた、そして空間の広がりがあまり感じられない斜め構成の描写を指している。しかしながら、遠近表現を取り入れた数少ない挿絵も見出されるので、そちらに目を向けていこう。空間の広がりを伝えようとする初期の挿絵として挙げられるのは、安永7年(1778)の作『神田与吉一代記』の一図であり、画面は中部の説明分を挟んで下部の近景に屋形船に乗る4人の男性と、上部の遠景に小舟と川縁でくつろいだり、魚を釣ったりする人々が見える。距離に応じた短縮描写は、随所にやや未熟さも見えるが、人間の高さから捉えた前景の拡大された対象と川縁の小さな人物との対比は、かなり印象的である。また、同種の空間構造は安永9年の『親以曾無弟六』でも見られる。前書の高く設定された水平線の白帆に向かって次第に短縮していく小舟のモチーフは、高い完成度を示し、当時の清長が短縮法の受容にどれほどの努力を重ねてきたのかを教えてくれる。の甚同年の錦絵の秀作「千鳥」に比較すると、水平線のレベルがまだ高すぎて、固定視角による空間の合理的な描写が狙われている気配もない。ただし、黄表紙の最終作の『児』においても同様の画面構成が活かされている事実から判断すると、清長の描写技術に進歩がなかったというよりも、彼は意図的にこのような構図を描きたかったと了解されるべきだろう。安永8年『虚言弥酒 腹六』において、清長が透視図法の合笑双理的な空間表現を捨てて、その代わりに古典的な平行遠近法や俯瞰描法に頼ることにしたのも、風俗的な意識が深く根付いている黄表紙における人物の重要性を強調するものといえよう。絵喩志』、また天明6年(1786)の『道中能同驚くべきことに、以上に取り上げた作品のほかは、僅かな作例を除くと、発表者が調べた黄表紙の中で開放的な背景は、めったに描かれていない。むろん、確認されなかった黄表紙に何か貴重な挿絵が潜んでいる可能性も考慮されるべきである。清長■■■■■■■■■■■■■■■■― 519 ―■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■父布子鳶握』と『津』や翌年の『餅城誠■■■■■■■■■■■■■■■■■
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