鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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るが、『狆の嫁入』の挿絵に限れば、清長は豊春の浮絵を模倣したといっても誤りではない。清長の研鑽期に当たる透視図法の受容を正しく理解するために、まだ確認されていない黄表紙にも目を向けなければならない。それは、今後の重要な課題である。期   間:2012年2月14日〜3月31日(46日間)出 張 国:ドイツ連邦共和国、オーストリア共和国報 告 者:国立西洋美術館 研究員  新 藤   淳このたびのドイツおよびオーストリア滞在の主たる目的は、ルーカス・クラーナハ(父)(1472−1553年)の作品調査を行い、将来的な展覧会の実現可能性を探ることにあった。おもな訪問先となったシュテーデル美術館、ウィーン美術史美術館はともにクラーナハの主要作品を多数所蔵している。両館での作品調査やミュンヘン中央美術史研究所などでの文献調査とともに、ウィーン美術史美術館では、今後の日本でのクラーナハ展開催を念頭に置いた懇談を、絵画館長のジルフィア・フェリーノ氏、同館学芸員のグイド・メッスリング氏とともにもつことができた。メッスリング氏は、2010/2011年にブリュッセルのパレ・デ・ボザールとパリのリュクサンブール美術館で開催された展覧会『ルカス・クラーナハの世界─デューラー、ティツィアーノ、マサイスの時代の画家』のキュレーターを務めた経験をもつため、最新の研究動向とともに、個人蔵のものを含むクラーナハ作品の情報に精通しており、とりわけ重要な知見をご教示いただくことができた。近年、クラーナハをめぐっては、ブリュッセルとパリでの展覧会以外にも、同時期の2010/2011年にローマのボルゲーゼ美術館で開催されたクラーナハ展など、新たな研究成果が、とくに展覧会という形で頻繁に提示されている。それらの試みにある程度共通しているのは、ともすれば特異な綺想の画家と見なされがちなクラーナハを、これまでよりも詳細に、ドイツ、ネーデルラント、イタリアの同時代の他の画家たちとの関係のなかで考察し直し、その作業を通じて、彼の芸術をより広範な美術史的布置のなかに置き直すという意識であるように思われる。また、メッスリング氏も語っていたことだが、クラーナハは当時の新たな美術市場にすぐれて自覚的であり、一種― 523 ―⑶海外派遣①「ルーカス・クラーナハ(父)と宗教改革期ドイツの視覚文化」

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