鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
59/537

「並笛図」「風流陣図」隠慧歳である。現存する絵画作品例として早い作例が天正期を下らない時期の狩野永徳周辺での制作とみられる個人蔵「鞨鼓催花図」だ。(「御溝紅葉図」と一双をなす)五山禅僧が「鞨鼓催花」の故事を愛好したように、この画題の吉祥性が絵画化に深く関わっていると考える。題画詩では1488年示寂した希世霊彦によるものが古く、現存作品では16世紀の作例でクリーブランド美術館所蔵の長柳斎筆「玄宗・楊貴妃図」や南禅寺所蔵「扇面貼交屏風」の「並笛図」〔図4〕や天正期の濃厚な永徳様をみせる文化庁所蔵「並笛図」〔図5〕などがある。文化庁本の玄宗と楊貴妃が仲睦まじく並び座り、一つの笛を吹き、周囲では臣下らが楽を奏でる図様は桃山から江戸初期の狩野派の「並笛図」にみられる定型的な図様である。一方、関東水墨画派祥啓の画風をみせる長柳斎の図のように玄宗と楊貴妃が立ち姿で笛を奏で、笛の音に合わせるように舞う臣下がいる図様は狩野派には見られない図様である。東京国立博物館所蔵の狩野派模本に銭舜挙筆「玄宗楊貴妃図」や京都国立博物館所蔵「探幽縮図」に元代画家趙雍作とされる「人形仏図巻」〔図6〕中にも類似した図様があり、狩野派の図様の源泉が中国画からの借用であったことが推測される。なお狩野派模本の銭舜挙筆「玄宗楊貴妃図」〔図7〕は大正7年(1918)4月5日の高橋家御蔵品入札(於:東京美術倶楽部、札主:山澄力蔵)の目録に掲載されており、「探幽相阿弥極 心海添状 雲州蔵帳ノ内 平瀬家旧蔵」の来歴をもつ。狩野派模本銭舜挙筆「玄宗楊貴妃図」は松江藩七代藩主松平治郷(1751−1818)が集めた茶道具のうちに含まれていたのである。「風流陣図」を詠んだ詩の早い例は1500年示寂の天隠龍澤によるものだ。「風流陣図」の絵画化は小画面では南禅寺所蔵「扇面張交屏風」〔図8、9、10〕、大画面では狩野長信周辺作とみられるMOA美術館所蔵「風流陣・明皇蝶幸図」〔図11〕などが早い例だ。風流陣の故事は『開元天宝遺事』に載る逸事で、玄宗皇帝が率いる宦官百人と楊貴妃が率いる仕女百人が宮廷で旗を振り回して争い、負けた方が酒杯を干したというものだ。しかし日本では玄宗と楊貴妃が見守る中、女性が二陣に分かれ花の枝で打ち合う図様で描かれている。なお宝永度内裏准后御常御殿上段の間には鶴沢探山が「玄宗花軍」(風流陣図)を描いたことが指摘されている(注12)。また売り立て目録― 49 ―

元のページ  ../index.html#59

このブックを見る