ら「唐美人図」へ」』実践女子学園 2009年⑶『新日本古典文学大系60太閤記』岩波書店 2009年⑷新興武家らの文化的な生き方については仲町啓子「日本における「唐美人」の絵画化とその意味」『「仕女図」から「唐美人図」へ』実践女子学園 2009年、で指摘されている。⑸小松茂美『増補版利休の手紙』小学館 1996年⑹『山上宗二記 現代語全文完訳』能文社 2006年⑺秋山光和『平安時代世俗画の研究』吉川弘文館 1964年、家永三郎「初期世俗画としての唐絵」『上代倭絵全史』墨水書房 1966年、などに詳しい。⑻榊原悟「長恨歌絵について」『源氏物語の鑑賞と基礎知識 No.1 桐壷』至文堂 1998年⑼『玉葉』3 国書刊行会 1907年。蓮華王院宝蔵の「長恨歌絵」に添えられた信西入道自筆の書き付けに、信西が平治の乱勃発直前に歴史書を参考に玄宗皇帝の故事を描かせ、後白河法皇を諌めたとする記録がある。⑽注⑵に同じ。⑾別添表「五山僧と題画詩」⑿「王と王妃の物語 帝鑑図大集合」名古屋城 2011年⒀注⑿と同じ。⒁『戦国人名辞典』吉川弘文館 2006年⒂仲町啓子「日本における「唐美人」の絵画化とその意味」『「仕女図」から「唐美人図」へ』実践女子学園、皆川三知「「探幽縮図」にみる「唐美人」」『「仕女図」から「唐美人図」へ』実践女子学園 2009年、宮崎法子「狩野派模本から見た中国の仕女図」『泉屋博古館紀要』 2009年⒃別添表「売り立て目録」⒄「玄宗楊貴妃図屏風」は現在個人所蔵となっている。本図は国華1238号で山根有三氏により紹介された。図様は並笛図だ。紙本著色の銀切箔散しの六曲一隻屏風で、寛永期(1624−44)の作とされ、画中に款印はないが、長谷川等秀筆とされている。朱文円郭壺印(「州信」か)がある。「明皇楊貴妃図屏風」は『時代屏風聚花』(しこうしゃ)に掲載されている。紙本金地著色の六曲一双屏風で、17世紀半ば(寛永期)の作とされ、画中には朱文円郭壺印(「州信」か)がある。⒅榮川添状が付され、常信による箱書が伴うものである。中幅は玄宗皇帝と題されているが、宮殿内で楊貴妃と並び座った玄宗が楊貴妃に話しかけている図であり、現在所蔵は確認できない。左右幅の雪村筆「官女図」は現在、個人蔵として現存している。⒆両図とも同図様であり、狩野派内の粉本の存在が明らかであることを示す。― 53 ―
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