3.歴史の連想季』の文学的連想が備わっていた事実がある。当時のリッチモンドは国内旅行の流行に伴い発達した観光産業により、支配階級のみならず、ロンドンの中産階級をひきつける観光地になっていた。様々な魅力を街の観光商品としてアピールする過程で、トムソンの街という特徴が19世紀の売り物となっていた(注17)。トムソンが眠るリッチモンドの聖マグダラのマリア教会にトムソンを記念する碑が1792年に設置され(注18)、彼が晩年を過ごしたリッチモンドの家が18世紀末に旅行者のために整備されたことで(注19)、「詩人トムソンの名声は間違いなくリッチモンドと関連付けられる」(注20)ようになっていた。ターナーが作品に取り込んだ主題は、こうした文学的連想に基づいていたのである。トムソンの連想をリッチモンドと結びつけたものとしては、他にも1819年にロイヤル・アカデミーの展覧会に出品した《イングランド:摂政皇太子誕生日のリッチモンド・ヒル》〔図3〕のほか(注21)、1818年頃制作と考えられる未完成作品《麦を運ぶ女性のいるリッチモンド・ヒル》〔図4〕がある(注22)。後者については、麦を運ぶ女性をリッチモンドの風景を背景に描いているが、1810年代には、麦を運ぶ女性のいる図像は『四季』に登場する落穂拾いの女性ラヴィーニアを連想させるものだったのである(注23)。ターナーは歴史を直接的な風景画の主題とするだけではなく、文学同様、土地に備わった一つの連想として利用している。それはトポグラフィーにも確認できる。その一例が1819年に出版された《バトル修道院、ハロルド殺害の場》〔図5〕である。ここに描かれるのは、ヘイスティングスにあるセンラックの丘で、1066年にノルマンディーの侵攻によりハロルド2世が殺害されたヘイスティングスの戦いの地である。前景の丘には、ウサギとそれを追う猟犬が描かれている。二匹は地平線や丘の稜線と呼応するように水平線上に右から左へと走り抜ける。とりわけ歴史と関係する要素はないように見えるが、このウサギの表現について、ターナーは次のように語っている。どうして私がここにウサギ[hare]を描いたのか、お知りになりたいのでしょう。ちょっとした情趣を加えたのです。なぜかって、ここは兎足王[Harefoot]ハロルド1世が死んだ場所ですから。ほら、猟犬がウサギを追っているところがお分かりになるでしょう。(注24)― 61 ―
元のページ ../index.html#71