鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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実際にヘイスティングスの戦いで殺害されたのはハロルド2世なので、ターナーは混同しているのだが、ハロルドの連想を備えた対象としてウサギを意図的に描いていることが分かる。そのことで、同地がヘイスティングスの戦いの地であるという歴史的連想を作品に導入し、それを鑑賞者に対して表明しているのである。連想の導入により、鑑賞者の精神を刺激する詩的な風景画を目指していたことがうかがわれる。ラスキンも前景の丘の左に描かれた木々や倒木が枝分かれしている部分が「矢の先端」(注25)の形をしていると語り、矢で目を射抜かれたと伝えられるハロルドの連想を備えた作品として解釈している。4.地誌の主題さらにターナーは、描かれた土地の様々な地誌に関わる挿話を主題として作品に取り込むことも行っている。その一例が1814年版刻のトポグラフィー《プール、ドーセットシャー》〔図6〕である。イングランド南部の港街プールの湾にそそぐ河口域一帯を描いた風景の前景には、海辺へとなだらかに下る道が描かれていて、木材を積んだ馬車が移動している。これは1814年から26年にかけて制作されたトポグラフィー版画集『イングランド南岸のピクチャレスクな景観』のための一点で、テクストとともに出版された。そして、ターナーが当初テクストとして構想した詩の中に、この作品と関連すると思われる以下のものが残っている。この作品に彼が取り込もうとした地誌として、プールの地質の特徴を踏まえた挿話が構想されていたことが想起される。 西には強い風と潮の流れによって砂地に 防壁ができ、その防壁の後には 砂地の荒野が続く。その荒野に深く抉られた道は、 重い荷を積んでギシギシと音を立てる荷馬車を沈ませ、 南へと枝分かれして、彼方の突端が プールの街の湾を形成しているところまで続く。(注26)ターナーはプールの河口域特有の砂地の土壌のせいで、馬車が移動に苦労しているという挿話をこの作品に取り込んでいることが分かる。御者がゆるやかな下り坂の途中で、なぜ、わざわざ馬車を降りて馬に寄り添っているのか、砂地の土壌で移動に苦労する物語を念頭に置けば、その説明もつく。― 62 ―

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