Ⅰ ms. 3717における新たな図像表現このチャプターのテキスト内容は簡潔で、罠猟で用いる様々な網の名称が列挙されるのみである(注10)。fr. 616に代表される初期写本の図像〔図5〕では、平面的な緑野に、画面下から上へと網の制作過程が文字通り図示される。即ち、下から糸車を用いたロープの制作、ロープによる網の制作、完成した網の提示である。また、作業をするのは服装から小姓と判別し得る。一方、ms. 3717〔図2〕では、画面はまず一定の奥行きがある風景へと変貌を遂げる。変化はそれのみでなく、作業員が糸車、紡錘、作り途中の網を各々手にする3人に減少し、完成した網の提示はされない。さらに注目に値するのは、『狩猟の書』の挿絵の系譜上、初めて女性が作業員として登場した点である。ちなみに、『狩猟の書』のテキストでは女性の存在は全く言及されない。挿絵に描かれた糸車を回すこの女性は、簡素な衣装と頭部を覆う白い頭巾からも上層階級の女性とは思えず、また、他の男性2人の衣装も色彩も含め実に質素である(注11)。そのためこの挿絵は、当時の農民の労働風景の如き印象を湛えているのである。「どのようにして猪を解体するか」の挿絵〔図3〕は、新たな図像表現にテキストとの対応が認められる例である(注12)。先行写本の挿絵〔図6〕では、やはり画面を覆う緑野の上部に仰向けにされた猪、その傍らで焚火を囲む猟犬と狩人、下部では食事の準備をする者も見られる。一方、ms. 3717では、テキストで詳述される猪の解体と毛焼きの作業が即物的且つ具体的に描写され、画面の大きく占めている(注13)。fr. 616に代表される『狩猟の書』の初期写本では、序文と各チャプターに1点、計86点の挿絵を配すよう構成されている。ms. 3717にも同数の挿絵が付されるが、その図像に対する影響が指摘された15世紀中葉制作のfr. 1291には挿絵は28点しか存在していない。今回の調査の結果、ms. 3717で、fr. 1291に挿絵がないチャプターの大部分の図像では、モティーフとその表現方法に初期写本の図像との近親性が観察され、特にfr. 616とは留意すべき類似が看取できた。詳細は紙面の都合上割愛するが、要するにms. 3717はfr. 1291を手本としてその図像をほぼ忠実に踏襲し、fr. 1291に挿絵がないチャプターでは初期写本の図像を手本としたと推察される。そして、ms. 3717の画家は、約半世紀前の作例を手本とする際、風景表現に関しては手本を写すのでなく、より発展的な様式を採用しているが、それだけに留まらず、新たなモティーフを挿入し、主題をも変更した挿絵が僅かながら存在している。そしてこの図像における変更には、テキスト内容に対応するものと、対応しないものがある。後者の例が「どのようにして様々な種類の網を作るか」〔図2〕の挿絵である。― 81 ―
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