鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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こうした労働する人物をクローズアップする新たな構想は、「獲物を捕獲するための生垣の作り方について」(ch. 60)の挿絵〔図4〕にも認めるられる。この情景も、同チャプター前半部で著者が語る生垣の制作方法に関する記述に対応しているが(注14)、留意すべきは、テキストから狩猟行為に関する箇所でなく、準備段階にあたる生垣の制作方法の箇所が図像化の対象とされた点である。その結果、初期写本の獲物を捕獲する描写〔図7〕は姿を消したのである。このようにms. 3717の新たな図像表現には、狩猟に纏わる副次的な作業をクローズアップし、また図像を構成する諸要素をより即物的なリアリズムを以って描写する造形志向が看取できると言える。この観点からすれば、ロープの制作の作業員を、女性を含めた下級層の如き人物像に変更したのも、初期写本の図像で見られたように宮廷の小姓が糸紡ぎまで行っていたとは考え難いことを鑑みれば、リアリズムの精神による修正と解釈し得るのである。Ⅱ 視覚的源泉および類似図像とは言え、こうした労働図とも言える新たな図像の全てを画家の独創に帰すのは早計であろう。画家は改変する際、既存の図像を着想源とした可能性が想定されるからである。以下ではこの観点から、特にモティーフレヴェルにおいて類似が見られる図像を指摘しその関係を考察する。Ch. 25のような糸車を伴う女性像は、糸紡ぎ、手芸、機織など類似作業をする女性像と共に、中世美術の女性像の定型のひとつであり、14世紀後半より見られるとファン・マルルは指摘している(注15)。しかし、糸車を回す女性像は早くも1320−40年頃制作の『ラットレルの詩篇』(ロンドン、大英図書館Add. MS 42130)の欄外に認められる〔図8〕(注16)。ms. 3717の女性像も、こうした図像伝統を背景に持つと考えられるが、より直接的な着想源の上で注目すべきは本写本の注文主ジャック・ダルマニャックの蔵書であろう。公の蔵書に関しては体系的な研究がされ、詳細にカタログ化されている(注17)。今回、カタログ中の写本を調査した結果、公の注文作であることがほぼ確実なボッカッチョ作『名婦人伝』の仏語版写本の1冊(ニューヨーク市立図書館Spencer ms. 33)に、ms. 3717の図像との近親性が指摘し得る図像〔図9〕が見出された(注18)。古代から当時までの著名な女性陣の業績を語る『名婦人伝』の写本で、女性が紡績や機織に携わる姿で描かれるのは珍しくなく、既に15世紀初頭の写本にも登場するが(注19)、特筆すべきは公の写本では、先行写本で見られる機織や紡錘でなく、糸車を回す女性が登場し、彼女を含む3人が其々異なる作業段階に勤し― 82 ―

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