鹿島美術研究 年報第29号別冊(2012)
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注⑴内容構成は以下の通り。プロローグ;第1部(Ch.1−14)狩猟の対象となる14種類の獲物とその習性について;第2部(Ch. 15−21)猟犬の種類とその習性、病気と治療法、飼育法など;第Ⅲ 結び─月暦図との近親性とその意義 以上のように、ms. 3717の新たな図像表現には、狩猟の副次的側面、特に作業をする人物への重点の移動が見られ、また、猪の頭部の切断や毛焼きの描写が物語るように、それら対象物をより即物的に把捉するリアリズムへの志向が看取できると言えるだろう。そして、この新たな図像には、月暦図との近親性が指摘できるのである。ms. 3717にこうした特質を持つ図像が登場した意義を考える時、示唆に富む言及を提供してくれるのは、中世の世俗図像研究が未だ宗教図像に比して後れをとる中で、精力的に月暦図を含め労働に纏わる図像の研究を進めているマーヌである。本稿の文脈で注目すべきは、ボローニャ出身のピエトロ・ディ・クレッシェンツィが1305年頃に著した、農耕技術の解説を中心とする『農事論』の写本に関する論考である(注24)。この作品の仏語版挿絵入り写本は8冊現存するが、マーヌはその1冊、ms. 3717とほぼ同時期に制作された写本(1470−75年頃、シャンティイー、コンデ美術館ms. 340)の図像に、月暦図の影響を指摘しているのである。彼女は、著者が豚について語るのは僅か1チャプターであり、屠殺に関する記述がないにも関わらず、当該写本の挿絵に男性が豚を押さえつけ首を切る描写(f. 303v)が見られることを指摘し、これを同時代の月暦図から影響と見做したのである。つまり、月暦図が類似コンテキストの図像に引用されるという現象は、同時代の他の世俗彩飾写本にも見られると言うことである。ただし、本稿で見た『狩猟の書』の系譜上新しい図像表現と月暦図との近親性は、マーヌが『農事論』の挿絵に見たような月暦図からの直截的、一方的な影響によるものとはやや趣を異にするように思われる。確かに、ms. 3717の新たな図像表現の背景に、先代の月暦図の伝統が横たわることは明白と思われるが、同時代およびやや後代の月暦図との近親性は現段階ではむしろ、同じベクトル上の造形志向を共有する中で立ち現れた類縁性と考えるほうが妥当と思われるのである。即ち、実際の市井の営みを反映させたかのような一種のリアリズムの表現の推進である。こうした変化の方向性は後の『狩猟の書』に継承されてゆくのだろうか。しかし、筆者の調査の限りでは、15世紀後半以降制作の『狩猟の書』写本ではこうした性質の変化はむしろ影を潜めるように思われる。この点は今後の課題としたい。― 84 ―

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