鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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研 究 者:白河市歴史民俗資料館 学芸員 小 野 英 二はじめに唐貞観十六年(642)頃成立の敦煌莫高窟第220窟南壁画(以下、「220窟壁画」〔図1〕)は、唐代を通じて流行した阿弥陀西方浄土変相図の本格的な作例として最初期のものであり、先論でも多く採り上げられている(注1)。阿弥陀浄土を描いた前代までの作例と大きく異なるのは、群像表現を取る大画面構図を持ち、浄土三部経などの経意に基づき豊富なモチーフを細密に描き込む点であろう。浄土変は盛唐期以降に定型化を示すが、そこで描き込まれる要素をこの時点でほぼ含んでおり、220窟壁画は単なる「浄土図」から浄土経典の「変相図」へと発展を遂げつつある頃の作例と捉えられる。敦煌壁画においては、220窟のような大作の浄土変は突如登場したことから、図様自体は敦煌地域の自力的創出とは考えにくく、長安などの中央からもたらされたものとされる(注2)。その一方で、十六観想図や、いわゆる未生怨説話は付属しない。また細密な描写で埋め尽くされた画面の全体的な構図は未整理で、煩雑な印象も与える。いまだ発展途上の過程を示すものともいえよう。そして、そのような220窟壁画だからこそ、のちに仏教美術の大きな流れをなす阿弥陀浄土変という一連の作品の、成立事情を読み解くための格好の題材となりうると考える。本稿では、220窟壁画を一つの到達点と設定した上で、前代の作例に注目しながらその成立の過程について論じていきたい。同時に、当時飛躍的に深化し拡大しつつあった阿弥陀浄土信仰と、阿弥陀浄土美術の発展との関わりについて、見通すことを試みる。1、莫高窟220窟南壁画の図像的特質まず、南北朝〜隋代の作例を参照しながら、220窟壁画の特徴を確認していきたい。西魏に描かれたとみられる麦積山石窟第127窟右壁画〔図2〕は、220窟壁画と構図的に共通する点が多い先例として注目される。すなわち、俯瞰による広い視界をそなえ遠近表現を用いる点、画面中央上方と左右とに楼閣をそなえる点、画面中に多くの人物を配する点、などである。聖衆は如来の左右に列をなし、あるいは左右の楼閣周囲を逍遥するなど、阿弥陀の仏国土のありさまをリアルに描こうとする意識が見える。さらに、阿弥陀仏の眼下に鼓を打ち、舞い、楽器を演奏する一団が描かれている― 94 ―⑨阿弥陀浄土美術成立の前史的研究─中国南北朝末~隋代を中心に─

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