型化されていない段階にあったことを思わせる。これら先例との比較を踏まえると、220窟壁画におけるモチーフは、麦積山127窟壁画や南響堂山石窟浮彫などでほぼ完備されており、景観の大枠を見る限り、220窟壁画はそれらを総合したものと言える。無論、画面はより大規模となり、経意をより細密に描き込むなど(注6)、一層進んだ図様としても理解されよう。一方、220窟壁画が構図的に見て独特である点を挙げれば、中央に大きく配された矩形の蓮池がある。阿弥陀三尊と浄土の会衆が寄り集まって居すこの蓮池は、画面の中でひときわ目を引く。蓮池は、楼閣や瑠璃地のタイル模様などと比較して俯瞰の角度が異なり、あたかも220窟壁画の真ん中に無理に嵌め込んだように見えてしまう点、構図的な未成熟さを露呈している。しかしそれゆえ、蓮池は周囲から浮き上がるような存在感を示してもいる。池上から各々の蓮華座の茎を伸ばし、往生者とともに阿弥陀三尊、浄土の聖衆も同じく坐し、それぞれの菩薩は各々弥陀の説法に参じながらお互い賛嘆の声を交わしたり、三尊に礼拝供養を行ったり、また宝池の欄干に手を掛けて今にも宝池から上がろうとするなど、めいめいが弥陀の仏国に安住し、法悦に与る様子を見事に描写している。先例にない濃密な群像表現は、画面にある種の迫力を生み出し、また変化を生み出している。こうした描写もまた、220窟壁画を画期的な作品と位置づける根拠となりえよう。また、蓮池内下部の九品往生の図に表される、根元を共有する蓮茎のモチーフも独特である。これについては何人かの先学が注目しているが、特に中村興二氏は、「一仏五十菩薩のモチーフが図柄の心臓部であり、それに『観経』および『阿弥陀経』が付け加わった」ものであるとし、「一仏五十菩薩像」すなわち阿弥陀仏五十菩薩像のモチーフに『観経』などに説かれるモチーフを付け加えたものが220窟壁画である、とみなす(注7)。阿弥陀仏五十菩薩像(注8)は、道宣の『集神州三宝感通録』(以下『感通録』)では「西域天竺の瑞像なり」としてその由来となる説話が採録される(注9)。特に四川省綿陽市臥龍山千仏岩西面第1号龕(貞観八年(634)銘、以下「臥龍山像」)はその図像を表した最初期の例である。敦煌莫高窟においてもいくつか類例があり、特に第332窟東壁のもの〔図6〕が知られる。332窟壁画と220窟壁画とを比較してみると、二人の菩薩立像を従えた阿弥陀如来坐像を取り巻くように、一根から枝状に伸びた蓮茎と、蓮華座上に多数の菩薩衆が配置― 96 ―
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