図版出典図版は全て筆者の撮影による。謝辞本稿の執筆にあたっては、早稲田大学文学学術院の成澤勝嗣准教授よりご指導を頂きました。また調査においては、高松市歴史資料館、香川県立ミュージアムの皆様、各作品のご所蔵者の皆様よりご厚情を賜りました。ここに記して厚く御礼申し上げます。頁を参照。⒀小石元瑞自筆『文稿 壬申至癸卯 百一集附』(1812年起筆、究理堂文庫蔵)48丁表・裏所載。⒁河野元昭「竹田と画帖─大和文華館所蔵『翰墨随身帖』を中心に─」『大和文華』87、大和文華館、1992年、2頁を参照。大分県教育庁管理部文化課編『大分県先哲叢書 田能村竹田 資料集 詩文篇』大分県教育委員会、1992年、650頁に「壇浦石函題」という漢詩がある。⒂この他、小石元瑞の盆石趣味を伝える遺品に、山本梅逸筆「奇石図」と帆足杏雨筆「石図扇面」(いずれも究理堂文庫蔵)がある。前者は款記により、文政8年(1825)3月1日、梅逸が江馬細香と共に美濃国霞間ヶ渓において花見をした帰りに拾った石を、元瑞のために写したとわかる。後者は平たく苔むした石を描いたもので、扇面上部に「蒼蘚千年粉繪傳 堅貞一片色猶全 那知忽遇非常用 不把分銖補上天 辛巳春日寫併録劉商詩」とある。つまり、文政4年(1821)春に石の図を描くと共に、唐代の劉商が詠んだ「画石」詩を併記したという。⒃赤松文二郎編『雲華上人遺稿 全一冊』後凋閣、1933年所載、『雲華上人師友贈答詩文集』291頁を参照。⒄山田勝次編『三聖盒寿讌書画展観小録』巻上、志水茂助、1880年、24丁表より引用。句点は原文の通り。⒅「西国順礼詩画帖」後半第29図の題詩に「海天渺々擘双眸 暫駐帰鞭立一丘 我若忽然生羽翼 呉耶越歟又齊州」とある。⒆注⑷前掲書を参照。― 110 ―
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