鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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注⑴『香取秀真展』図録,佐倉市立美術館,2003年に詳しい。⑵田井安曇『生きている子規─付 香取秀眞という人』財団法人子規庵保存会,2003年⑶かつては短歌結社「アララギ」に属する歌人をアララギ派と呼ぶことが多かったが、1997年の廃刊及び「新アララギ」「短歌21世紀」「青南」「アララギ派」への分裂後、混同を避けるためにアララギ系と呼ぶことが多くなった。なお秀真はアララギへの寄稿も行っているが、アララギ派、アララギ系と呼ぶことはためらわれる。1913年11月発行,pp. 25−30の独立性を重視した、とも捉えることができるだろう。おわりに香取秀真は一般的に「モダニズム工芸」に反対した立場と思われており、モティーフや様式が伝統的である、という点ではたしかにそうである。ただモダニズムには、ジャンルの独自性への還元、純化という側面もある。そういう意味では、文学性の導入やジャンル横断的な新様式の導入から離れ、工芸美術の独立性を作品本位で考え続けた秀真は、ある種のモダニストであったとも言いうるのではないだろうか。⑷これまでほとんど顧みられることのなかったいわゆる「旧派和歌」歌壇、すなわち「御歌所派歌人」たちについての最新の研究に次のものがある。宮本誉士『御歌所と国学者〈久伊豆神社小教院叢書9〉』弘文堂,2010年⑸香取秀真『天之真榊』学芸書院,1936年,「自序」pp.5−6⑹同書,「自序」p.7⑺『香取秀真先生印譜』香取秀真先生印譜頒布会,1946年⑻木田拓也「香取秀真の金工史研究と制作:「日本主義的」工芸をめざして」『東京国立近代美術館研究紀要』2007年,pp. 21−42⑼香取秀真「鋳」『日本及日本人』1916年1月(香取秀真『随筆ふいご祭』学芸書院,1935年,⑽香取秀真「左千夫君逝く」『アララギ』第6巻第11号(伊藤左千夫追悼号),アララギ発行所,⑾嶋本久寿彌太『香取秀真の芸術と生涯』東京芸術大学鋳金教室(非売品),1955年,p.3⑿正岡子規『子規遺稿 第一篇 竹の里歌』俳書堂,1904年,pp. 24−25⒀これらの像については秀真自著のほか、平成22年(2010)に行われた香取忠彦氏の講演に詳しい。「【糸瓜忌・特別講演】子規の顔 香取忠彦(財)子規庵保存会理事長」『子規庵春秋』第11号,財団法人子規庵保存会,2011年,pp. 13−17.『正岡子規と美術』図録,横須賀美術館,2012年,pp. 56−57でも紹介されている。⒁香取秀真「正岡先生の塑像」『日本及日本人』1928年3月(香取秀真『正岡子規を中心に』学芸書院,1936年,pp. 423−436に再録のうちpp. 435−436)⒂香取秀真『天之真榊』学芸書院,1936年,p. 190⒃品田悦一『万葉集の発明─国民国家と文化装置としての古典』新曜社,2001年pp. 270−279に再録のうちpp. 278−279)― 121 ―

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