研 究 者:サントリー美術館 学芸員 上 野 友 愛はじめに〈物語〉と〈場〉は、切っても切り離せないものである。木の下や傘の下、異界との通路である四つ辻や橋の上、あるいは寺社の門前や社頭など、物語は、それを語るにふさわしい〈場〉を持つ。物語がどこで起こるかという、物語形成の過程は軽視できないが、反面、物語が場を選ぶという関係も無視できない。「だれにとっても忘れがたい、ここという場所を特別に選んで、物語の種はまかれてあるらしい。そして繰り返し起こる数々の物語を通して、その場所はますます忘れがたいものになってゆく」とも語られる(注1)。まさに、お伽草子にとっての〈清水寺〉がそうであった。四百種類を超えるお伽草子伝存作品のなかでも、清水寺が登場するお伽草子はその数四十篇を超え、現存作品の約一割を占めている(注2)。ではなぜ、お伽草子に清水寺関係の作品が多いのだろうか。本稿ではまず、清水寺を例に、物語が生み出され鑑賞される、その背景と信仰を探る。そして、現存作例の大部分が作者不明で画風もさまざまであり、美術史的作品研究も手付かずのお伽草子絵について、景観という切り口から新たな考察の可能性を探りたい。1.清水寺信仰とお伽草子京都東山で現在も多くの参詣者や観光客を集めている清水寺の開山は宝亀9年(778)、僧延鎮による。延暦17年(798)、延鎮と出会った坂上田村麻呂の協力によって寺観が整い、平安時代以来、観音霊場として尊信された。中世に、観音の三十三身にちなんで、三十三の観音霊場を巡る西国三十三所巡礼という型式が定着すると、清水寺はその十六番札所として多くの参籠者・参詣者で賑わいを見せた。お伽草子を中心とした物語世界では、清水観音の利生の第一として、男女の出会いが題材に取り上げられている。男女邂逅説話の萌芽は、すでに『今昔物語集』に認められ(注3)、これら説話の流布が、この信仰を生み出すきっかけになったと考えられる。お伽草子『しぐれ』では、左大臣の子である中将さねあきらが清水寺に参籠する妹君を訪ねる途上、時雨に困っていた一行に傘を貸した縁で姫君と出会い〔図1〕、『物くさ太郎』では、太郎が清水寺門前で辻取りをする。また、清水観音によって授けられる出会いとは、男女の縁結びだけではなかった。― 126 ―⑫日本中世絵画における物語と景観─お伽草子絵巻の再検討を中心に─
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