離れ離れになった者が再会したり、さらには子供に恵まれない夫婦には子が授けられた(注4)。『道成寺縁起』の異本『賢学草子』では、ある年の卯月のはじめ、賢学が出雲路の結ぶの明神に通夜していると、遠江国橋本の長者の娘と契りを結び、その因果は逃れ難いと夢を見た。驚いた賢学は、夢がまことか、諸国一見の聖の真似をして遠江国へ下る。まだ幼い長者の娘を一目見た賢学は、修行の妨げを断つため、娘を殺そうと刺して逃げる。一命を取りとめ、美しく成長した娘は、十六の年に上洛し清水寺に参籠する。一方、同じく清水寺で通夜していた賢学は、例の娘とは知らず見初めることとなる〔図2〕。つまり、清水寺は、賢学と娘の因縁をも結ぶ場として本作に登場しているのである。さらに、『鼠の草子』では、鼠の権頭が畜生道から逃れるために人間と契りを結びたいと参籠するのも清水寺であり〔図3〕、また姫君に鼠であることが露見するのも、権頭が清水寺への御礼参りのため家を留守にした折であった。清水寺は、物語の単なる背景ではなく、ストーリーを動かしたり、加速、展開させたりする場所として機能するなど、まさに「物語舞台のメッカ」なのであった(注5)。こうした背景には、当時、貴賤がおしなべて清水寺に参籠・参詣していたという世相の反映があったと推測される。利生をあらわす観音は、長谷寺・石山寺・清水寺が代表的な存在であったが、なかでも清水寺は、洛中に近いことからとりわけ人々に親しまれた。お伽草子と同時代に制作された参詣曼荼羅や洛中洛外図などに描かれる清水寺の賑わいを合わせ見たとき、神仏の霊験を信じ、利益にあずかろうという人々の姿を確かに垣間見ることができる〔図4〕。つまり、お伽草子を享受する側に清水寺観音に対する熱烈なる信仰があったゆえに、物語のなかで主人公たちが、それぞれ現世利益を願い、清水寺に参籠することが当然のこととして了解されたといってよいだろう。物語の主人公と物語を享受する人間とはまさしく信仰の上で同一の地平に立っていたのであり、主人公が観音様に祈る夢は自らの夢でもあったのである。お伽草子とは本来、そうした幸福を求める人々の夢の産物なのであろう。2.物語に選ばれた清水寺物語が〈場〉を選ぶこともある。例えば、『小男の草子』では、背丈の極めて低い小男が上洛し、毎日清水山で松葉掻きをする。十八日の観音菩薩の縁日に、美しい上臈を見初め、小男から送られた文に心を動かされた上臈は小男に会うものの、その姿に驚く。しかし、小男の和歌に感動し、二人は結ばれ、後に小男は五条天神、女は聖― 127 ―
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