鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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(16世紀)制作の根津美術館蔵「蛙草紙絵巻」一本のみが知られている。「清水寺参詣曼荼羅」に匹敵する情報が描き込まれていることが確認できる〔図6、7〕。すなわち、お伽草子絵は、ある特定の場がどのような景観表象として絵画に存在してきたのか解明するに足る、有益な考察対象となることを指摘したい。また、洛中洛外図諸作では描かれることがなく、「清水寺参詣曼荼羅」でも、すやり霞の堆積によって覆い隠されている京の埋葬地・鳥辺野の情景が、「ゑんがく」(西尾市岩瀬文庫蔵)では、物語に必要な情景として描き出されていることにも注目したい〔図8〕。物語の梗概は次のとおりである。ある山里で暮らしていた猿は、我が子の死によって世の無常を悟り、発心出家して「ゑんがく」と名乗る。女房猿とともに諸国の名刹霊社をめぐろうと、猿と縁の深い近江国山王権現に始まり、清水寺、鞍馬寺、住吉明神、当麻寺、高野山、伊勢神宮、東大寺大仏殿などを訪れる。猿沢の池で身を投げようとするが思いとどまり、さらに山奥に分け入る。春日山で庵を結んで修行を続け、夫婦はついに極楽往生をとげる。本作は、全国の名所・名刹を巡りながら、当地にまつわるエピソードを盛り込む趣向になっており、猿夫婦は諸国修行をする途中で清水寺にも参籠し、寺の由緒やその霊験が語られている。また、清水寺に続いて東山にも立ち寄っており、その際、卒塔婆や五輪塔が並び立つ鳥辺野を通ったのである。雲霞で隠すことなく鳥辺野を描く絵画作例は少なく、お伽草子「ゑんがく」の図様は、「八坂法観寺塔曼荼羅」(法観寺蔵)などと並び注目されるのである〔図9〕。4.物語と景観─「蛙草紙絵巻」における清水寺の意義再考─お伽草子の一つに『蛙の草紙』と通称される絵巻作品がある。伝本は室町時代末期ある男は、かつて富に栄えていたが、次第に貧しく衰えたため、清水観音の御利益にあずかろうと長年詣でていた。ある時、男がこの山の上から麓の裕福な家を眺めていると、二頭の牛が干した布を食べていた。しばらくして、布がなくなったことに慌て騒ぐ家の者を前に、男は人の解らないことを嗅ぎ出す能力があるといい、布のありかを言い当てる。人々から信用された男は、家の主人から姫君の病の原因を嗅ぎ出して欲しいと頼まれる。その晩、思案にくれうち伏していた男― 129 ―

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